40歳を過ぎて感じる「好き」の必要性

若い頃は、つきあう=好き、だと思っていた。当たり前のように「好き」という言葉を発していたし、言ってほしかった。

35歳の時につきあっていた彼は私からの告白でつきあい始めた人だった。私は、彼に好きになってほしくて好きという言葉を聞きたくて2,3回に1回は「私の事好き?」って聞いていたと思う。今思うと、そんなすぐに人の気持ちは変わらないのにな、と思うんだけど、当時の私は「好き」という言葉で安心したかったのだ。彼とは1年おつきあいをしたけど、好きという言葉は1度もなかった。でも、体調の悪い私を心配して電車で1時間かけて私の用事につきあってくれたり、重い荷物を持ってくれたり、優しいSEXをしてくれたり。私の事を大切に思ってくれていたんだな、と今は思う事ができる。言葉はなくても行動で私に対する「好き」を表していた。

最近マッチングアプリで男性とデートをしたり、1人で飲みに行ったりする中で、必ずしも「好き」という気持ちが必要でない事を感じている。好きという概念が難しいのもあるけど、一緒にいて居心地がいい、相手の事を大切に思っている、お互いがお互いの生活や価値観を理解しようとする事ができればいいのではないか。好きって簡単に使えるけど、好きの裏にある思いは人それぞれで、それを言葉で表現する事には限りがある。

好きという言葉を使わない人は言葉を大切にしている人なのかもしれない。好きの裏にある貴女に対する行動に目を向けると、好きよりももっと深くて大切なものが見えてくるかもしれない。

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