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寄り添いでも同情でもなく論理的に

先日のこと、なかなか興味深い経験をしました。発端はこちらのX投稿


https://x.com/kuratamagohan/status/1744733773743489457?s=20

倉田真由美さんといえば「だめんず・うぉ~か~」でブレイクした高学歴の漫画家さんで、なかなかのインフルエンサーでもあります。この投稿の主旨である「『満員電車に乗るときスカート履かないほうがいい』というポスターが駅のホームに貼られたたらやばい国」というのは同意します。そして現時点でそんなポスターが貼られたら即炎上して行政だろうが企業だろうが謝罪して外すはめになります。カンコー学生服のとかね、わたしは粘着質なのでわすれてやんない。でも、忘れちゃうのか、そもそもそういう方向にアップデートできない人がまだまだいっぱいいるのか、そんなポスターがこの期に及んでまた掲示されたということなのでしょうか。やれやれ。

わたしが気になったのは、あるメッセージを発するのは「家族や身内ならOK」だけど「社会的にはNG」というところ。なので以下のようなコメントをしました。


「ごめんなさい。家族からも言ってほしくありません。なぜなら、その指示・アドバイス・禁止を守っていない状況で被害にあったときに「落ち度」として相談しにくくなるからです。加害者は服装でターゲットを選びません。」とコメントしました。

社会的なメッセージとしてはNGだけど身内ならOKというのが、わたしにはよく理解できないのです。「個」の認識や考え方が集まったものが「社会」であり、世の中が良くなるためには「社会」も「個」もアップデートする必要があると考えます。社会的にダメなものでも個人レベルならOKとしたままでは結局変わらないか、変わったとしてもとてもゆっくり。アップデートしたくない人が一定数いるけれども、その人たちを尊重し続けたらいつまで経ってもしわ寄せが無くならない…という考えでグイッと前に進める力を持っているのが政治家で、そのお手本のようなケースがこちら、NZのモーリス・ウィリアムソン議員のスピーチ(10年前!)。

まぁ、それはそれとして…わたしのコメントに、なんと!倉田真由美さん御本人がリプライ。と、それに続くわたしのしつこいリプ。

指示・アドバイス・禁止を守っていない状況で事故や被害にあったとき、自分の「落ち度」として自分を責めたり、叱られることを恐れて相談できなかったり、更には罪悪感まで抱いたりするのは、交通事故や窃盗とちがって「性暴力」の被害においては特に顕著になることを「知って」いるからこういう書き方をしたのですが、それに対してはリプがありませんでした(残念)。

服装は性暴力の被害には関係ありません。2017年に衝撃的なショーが行われました。性暴力の被害にあった人がその時に着ていた服を着たモデルがランウェイを歩くのです。「Guilty Cloths」というタイトルのショーで、そのタイトルから扇情的な服装を思い浮かべそうですが、なんということはないカジュアルな普段着のモデルが次から次に出てきます。

レイプ神話のひとつに「露出度の高い服装」というのがありますが、これは科学警察研究所の調査で否定されています。直接、研究所のデータを紹介したサイトが見当たらなかったので徳島新聞の記事。

 「痴漢とはなにか」などの著書がある龍谷大犯罪学研究センターの牧野雅子博士研究員は「被害者に原因を押し付けることで、加害者側の利益が守られている」と批判する。

https://www.topics.or.jp/articles/-/292090

「神話に基づいた効果のない予防」をあたかも「有益なアドバイス」であるかの如く、家族だろうが、社会だろうが垂れ流すことの害悪はこの一文に凝縮されています。

もうひとつ。

飲み物や食べ物の入った器をひっくり返して「しまった!」と思っているときに「だからいつも注意しなさい(気をつけなさい)って言ってるでしょ!まったくもう、ほんとにあんたって…」と、小さな頃に言われた経験がある人、少なくないと思います。親だってニンゲンですから、たまたま虫の居所が悪くて言わなくていいことをグダグダ言った可能性もあって、そんな場合はしょげている子どもに「ごめん、言い過ぎた、一緒に片付けようね」とフォローがあって然るべき。でも、失敗の都度「まったくもう」「あんたって子は」「なんべん言ったらわかるの」というような「否定」を浴びせかけられていて、信頼関係が築けていない場合、失敗を隠そうとしたり、顔色をうかがってチャレンジ精神が発揮できくなります。失敗してほしくないという親心が「めんどくさい」から派生している場合はそのようになりがち。そもそもの子育ての目標である「自立と自律」を見失わなければ、失敗しないことよりも、失敗をリカバーする方法を学べるように導けるはず。自分ひとりでリカバーできない事が起きたときに、隠そうとするのか、相談するのか、普段の親子関係、家族関係、人間関係が影響するのです。

と、わたしが考える一方で、なんとしても「口煩い親心」を大切にしたい方もおられるようで…

「親に心配かけない服装」が「性暴力を予防する」というメッセージなら親が言わなくてもそこイラ中に溢れかえっているので、ご安心を。口うるさく言うとしたら「寝てたって飛び起きて助けに行くから、なんかあったら連絡してね」「困ったときには力になりたい」です。そして普段の関係性。何かあったときに相談してもらえる信頼関係があるかないか、胸に手を当てて振り返ってもらいたい。

閑話休題。ツリーに戻ります。

家族の心配には理解を示し、「服装」に言及してもOKまたは必要という意見が見られます。わたしの読解力についても言及されましたが…「あなたの感想」にしておきます(苦笑)。

ここまででわたしが「課題」だなぁ、と感じたのは、「被害者の心理を無視してまでレイプ神話にしがみつきたい人」と「論理的に対話すること」の困難さ。娘を心配する親心があるなら、加害者の利益になることを言ってもOKという信念。普段くちうるさく「服装」のことを言っていても、いざ被害にあったときに自分の娘は「落ち度」だと思わないという根拠のない自信。交通ルールのように社会的コンセンサスが取れている有効手段と、予防には役に立たないレイプ神話を同列に扱える無知。

服装に関して言えば、これ

もともとムラムラしていて、制服の女の子がいたので欲情を抑えきれなかった。

https://rkb.jp/contents/202401/202401109587/

「制服の若い女性を性的に消費しても良いとする文化」を定着させた人たちはどう責任とるつもりでしょう。制服は安全ではないのです。実際に「制服を着ている時が、いちばん痴漢にあっていた」という話が調査のヒヤリングで多く聞かれたという記事もあります。

センター試験の日に「遅刻できない」という理由でターゲットにされることが、インターネット上で「チャンスデー」などという言葉で囁かれるなど、親や教師が校則通りに着ていてくれれば安心なはずの制服がちっとも安全ではないのに、「制服なんか着て満員電車に乗らないで!」とは誰も言ってくれない。本当に娘の身を案じて、痴漢にあってほしくないならば言ってもおかしくないと思うんだけど…。

「加害者の加害行為」が「被害」を生みます。
「加害者」が「被害者」を発生させるのではなくて「加害行為」が「被害」を生む。その「加害行為」を行った人を「加害者」と呼ぶのであって、その加害者の全ての言動が「加害行為」でない限り、その人の周りには「被害」を受けていないひとも大勢います。わたしの隣にも、あなたの隣にも「加害行為」をしたかもしれない人がいる可能性は0ではありません。服装で被害を予防できるなどというレイプ神話は、過去に加害行為をした人、これから加害行為をするかもしれない人に「いいわけ」や「正当性」を与えることになるのに、なぜかその事が伝わらない。

加害者に都合の良いレイプ神話に基づく「服装に気をつけましょう」というような「自衛を呼びかける予防法」は、「それを守っていなければ加害してもよい」という「いいわけ」を与え、「加害行為」へのハードルを下げます。だから、だれが言うのもNGなんです。逆に、「加害行為はいかなる理由があっても許さない」「100%加害者が悪い」「加害者は厳しく罰せられ、被害者は速やかに適切にケアされるべき」という考えに賛同する人が増えたら、加害行為へのハードルはグンと上がるはず。

でも、現状は倉田真由美さんの投稿にはわたしのコメントへの10倍を超える「いいね」がつく…orz それでも、8年前の被害を申し立てできるくらいには世論が醸成されてきたわけで、決して楽観できないけれど落胆のどん底に落ちるほどでもない、と思いたい。

おさらい!

性暴力の被害を予防するために自衛を呼びかけることは
・被害者が相談をためらう理由になりえる
・加害者が暴力の言い訳にする
・加害者はターゲットを服装で選んでいることは稀なため効果に乏しい
という3点において、やめた方がいい。誰であっても。

わたしが30凸凹の頃に携わっていたCAP(Child Assault Prevention)の暴力防止三原則を紹介します。

NO
GO
TELL

日本語にすると「イヤ」「逃げる」「話す」。

伝え方にも工夫があって
「イヤといいなさい」「逃げなさい」「相談しなさい」ではなく、
「イヤと言っていい」
「逃げることができる・嫌なことが起きているところにいつまでも居なくていい」
「なにかあったら話を聞いてくれる人が現れるまで何度も相談しよう」
というように、行動の選択肢が「ある」ことを伝えるのです。
何もできない、できなかった…という無力感を定着させないために、そして加害を止めて次の被害を防ぎ、適切なケアにつなげるためにできるのは最後の「相談」。

「◯◯しちゃだめ」「◯◯しなさい」というような指示はそれが守られなかった状況でコトが起きたときに「相談」が無効化されてしまうのです。
「イヤといえなかったワタシも悪い」
「逃げなかったワタシも悪い」…だから言えない。
そうならないために、やるべきことを指示するのではなく、「あなたの選択肢として伝える」のです。

ジャニー氏や松本氏の性加害に関する告発を「今更」と感じる人は、それだけで加害者に力を与えていることを自覚してもらいたい。

被害にあったときは
・それが性暴力だとわからなかった
・信じてもらえるとは思えなかった(警察、弁護士、親、友だち)
・はっきりと抵抗しなかった自分も悪い
・騒ぎになって人を巻き込みたくない
・つらすぎて被害自体を無いことにしたい
という状況だったのが、時が経ち、自分も成長して
・性暴力だったと語る言葉を得た
・社会が変わった(#metooの影響は大きい)
・レイプ神話に絡め取られなくていいと知った
・この先の被害を無くしたい
と思えるようになったからだということが、彼らの言葉を聞いていて痛いほど伝わってくる。わからない人がいるのが不思議なくらい。

「性暴力は今も起きているから無くそう」と言う人たちに対してわたしたちができることは、「無くすために有効なこと」を実践すること(例えば傍観者にならないとか)や、過去の暴力を総括してそこからアップデートのヒントになること(やっちゃいけないことを知る)を学ぶことであって、加害者にとって居心地の良い「現状」を「維持」することに加担することではありません。

電車内のモニターでも流してもらいたい「性的同意」の秀逸な動画

小田嶋隆さんのコラム、ニッポンの「お笑い」と「権力」と「暴力」についての鋭い意見。

権力といえば! 阪神淡路大震災のときの村山首相を忘れちゃいけない。権力の正しい使い方をご存知の人でした。

「全部現場で決めてくれ、現場が一番分かるんだから。法律であろうが何であろうが、それをひっくり返してでも現場が必要だと思う物は全部私が責任を取るからやってくれ」

賛否両論ありますが、「歯があったら…」という被害者の声から生まれた防犯グッズ。



わたしは、自分のことを優しいだとか、同情的だとか、弱者に寄り添うだとか、そういうことが得意だとは全く思っていません。すべての人に等しく「人権」があって、社会の仕組みや認識のために「我慢しなくちゃいけない人」や「しわ寄せを食らっていい人」など居ないという考え方(人権思想)に賛同しています。人権思想とはふんわりした「思いやり」のようなものではなく、誰もが幸せにその人らしく生きられる社会にアップデートするために「論理的」に物事を考えます。そう考えると「忖度」というのはとても感情的な振る舞いだということがよくわかりませんか?


追記:子どもの安全を願う親心を否定するつもりは毛頭ないのですが、あれこれ口うるさく指示したり、禁止事項を設けたうえで、失敗したときにどんな言葉をかけているのか、それは本当に子どものためなのか、わたしも考えさせられたコトがあります。どんな失敗だったのかは忘れましたが、息子が2歳くらいのとき(3歳にはなっていなかった)になにかやらかしたときのこと、顔は「ごめんなさい」なのに口から出たのは「だから言ったでしょ〜」という、わたしが何度か口にした覚えのあるフレーズ。わたしが謝りました。その理由はこちらの記事にある通り。

「言わんこっちゃない」は、自責を免れるための他責的態度であり、それは必ず強者から弱者に向かって吐き捨てられ、「責」は「責任」のそれではなく、「叱責」のそれであり、むしろ本当の責任の所在を曖昧にする方向に作用する。

言わんこっちゃナイトメアより抜粋

これでは親子の間に信頼関係が築けるわけがありません。わたし自身が「言わんこっちゃナイトメア」の中で長く過ごしたので、わが子にはこの悪夢を味わってもらいたくなかった。なにかあったときに「相談」する相手として、いちばんに顔を思い出して欲しかった。だから謝った。そして、幼児の生殺与奪を左右する力を持つ大人・保護者(強者)として、責任の所在まで意のままにするのではなく、「失敗をリカバーする」という本人が取るべき責任をクリアできるようにサポートすることに専念することにした。

竹遊亭田楽氏は、この悪夢から醒める見込みについて「見通しが立たない」と絶望的な予想をしていますが、この見通しの悪い未来に道をガシガシつけるブルドーザーになるのが「人権」だとわたしは思っています。「強者弱者という社会格差を是正する」のが「人権」ですから! (田楽氏はわたしが知る限り、人権という言葉を使わないのに人権感覚がビシッとある珍しい人です。)

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