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#街コン強化月間 ep.2 ルッキズムの深淵を映す応募条件…。

【参加資格:弊社の写真審査に合格した男性・周囲から容姿を褒められることが多い女性♪】

ルッキズムが加速する現代社会。当然、婚活市場はその傾向を少なからず反映する主戦場である。そのため、街コンには「イケメン・美女好き」を予めターゲットにしたパーティもある。
ちなみに、冒頭の応募要件は原文ママではないが、最後に♪はついていた。その時点でちょっと嫌である。

街コンは、マッチングアプリとは違い、事前に出会う相手を顔で選べない。年収いくら以上、身長何cm以上、みたいな普遍的な基準でも無いので、ある程度「顔」を重視する人にとってみれば、街コンはなかなかにガチャであるだろう。そのため、こういう条件のテーマも需要はあるのかもしれない。

ただ、私は面食いではない。
一つ前の記事で、世界一イケメンなのは玉木宏だと思うと書いておいてなんだが、それはそれである。実際には一目惚れはしないし、今まで付き合った人も顔から入ったことは一度もなかった。もちろん、清潔感や雰囲気といったものは大事だが…ここでいう面食いとは、顔の造形そのものが、実際の恋愛において大きな比重を占める人のことを指す。

そんな私がこのパーティーに参加することになったのは、参加予定の別の街コンが当日キャンセルになったからだ。開催までに予定人数が集まらなかったらしい。
とはいえ、当日中止は普通に困る。こっちは既に街コンに行く気のメンタルセットになっているし、化粧もし終わって、さあ今から向かおうというところだったのだ。
さすがにこのままでは不完全燃焼にも程がある。街コンに費やせるせっかくの土曜日。
それで、今日開催される婚活パーティーのうち、行ける時間帯のものを探したところ、冒頭のパーティーだけだったのだ。

「周囲から容姿を褒められることが多い女性♪」という自意識のもと参加するのは抵抗があった。しかし、なんと言ったって、今月は街コン強化月間と自分で定めている。そんな自意識の違和感を理由に逃げてはいられない。
それに、写真審査というものも興味があった。どんなイケメンが来るんだろうか。面食いではなくても、イケメンという存在はもちろん好きである。
気を取り直し、私は買ったばかりのピンクのラメグロスを追加でつけた。


…結論。

写真審査????????


すみません、私はルッキズムの風潮を是としないし、私自体その価値観とは性嗜好が異なる人間だが、それでも言わせて欲しい。

いつ髪を切ったんだろう、というロン毛のプリン男性(服装もなんかだるだるで、トータルの印象として落武者?のよう)や、なんかすごく体臭がすごい(語彙力がないのだが、とにかくすごいのだ)中肉中背の男性、シルバーチェーンじゃらじゃらつけたイカついヤンキー…

…だがまあ、私は面食いではない(n回目)。
話がとても合ったりしたら、飛び入り参加してよかったな、と思えたかもしれない。

しかし、問題は、びっくりするほど合わないのオンパレードなのである。顔の問題どころではなくなってきた。そこで、この街コンは年齢と写真審査以外の条件はなかったことを思い出す。

ある人は全く話そうとせず、終始こちらの出方を窺い、質問に対してはニヤニヤするばかりで、シンプルに感じ悪かった。
またある人は、「髪、綺麗じゃん。偉いね^^」と一言目からタメ語、誰目線かよくわからないホストのような褒めトーク(^^という絵文字が常に最後についているような話し方だ)。
さらには例の異臭の男性には自己紹介も早々に、「ニットの下のほう、ほつれてるよ?B型?笑」。B型じゃないしB型に失礼だしそもそもこれはフリンジデザインのニットだしそれより匂いをどうにか…頼みます…
この辺りで私の疲弊は既にピークに達していた。

「違います」

「え〜?笑 でも、絶対ESFPでしょ」

一瞬何かわからなかったが、MBTIの話か、と少し遅れて気づく。もう疲れていた。
それに、血液型とかMBTIに囚われているタイプの大人を久しぶりにみた。
しかも私はINFJで、掠ってもいない。
もしネタとしてぶっ込んできたのだとしても、ちょっと分かりづらすぎる。
ビスチェを着た時に「着る順番間違えてるよ笑」と言ってきた同僚にドン引きしたという友人の話をちょっと思い出した。うーん。酒案件。

普通の人も2、3人いたけど、なにしろその他の半数以上があまりに強烈で、印象にない。

そりゃ街コンだって当たり外れがある。今回たまたま合わなかっただけかもしれない。
顔審査だって、普段はここまでカオスな状況ではないのかもしれない。

終了後、早々に会場を出て、ノーシンキングで餃子屋に吸い込まれていった。

なんか糖分も欲していたので、ネギ炒飯も頼んだ。私は何かあった日には必ず中華を食べ、何かない日も中華を食べる。

ネギ炒飯と餃子を食べながらハイボールを飲み、ちょっと回復してきた頭に、ようやく脳内コメンテーターが顔を出した。これまで、衝撃と疲労で撃沈していたのだ。

今回の街コンについて、これだけは言える。
それは「応募条件は、理想的な相手を選び取るための基準ではなく、それを選んで参加した自分自身の価値観や心理状態を映し出す」ということだ。


そもそも今回の街コンで、「容姿に自信がある人」という条件から、参加者全体が自らの外見にある種のプライドを持っているか、またはそういう認識を得たいという心理を表していることが考えられる。今回他の街コンがキャンセルになってたまたま参加した、私のような人もいたのかもしれないが、そうでない限り、応募条件とは往々にして、その人の価値観の鏡となっている。

つまり、深淵を覗く行為(=応募条件への注目)が、結果的に参加者の内面や意図(=見返りを期待する気持ち)を明らかにしている。


今回、応募条件は理想の相手を保証するものでは到底なかった。
むしろ、条件に惹かれた人々の心理的傾向を示すものであると理解できた。
身長や年収のように普遍的な条件ではないからこそ、外見そのものへの過剰な期待は慎むべきだったのかもしれない。

私はまだ街コン2回目のひよっこだが、前回参加した、写真審査などないオーソドックスな要件の街コンのほうが、よっぽど清潔感があり、顔も普通に整っていて、何より、話していて特に違和感のない人が来ていた。だから私は街コン婚活は有用だと考えたのだ。
その経験も、今回の応募条件への過剰な期待が空回りしたことに繋がった。
面食いではないといいながら、条件ゆえにイケメンがくることを期待し、新品のグロスをおろした私もまた、本来は敬遠しているルッキズムの枠に自ら適合しに行ったことになる。その枠では自分もまたそのフィルターを通じてみられているという無意識下の実感と、自分が大事にしたい価値観の欠落を相手との間に見出し、失望することになった。

「深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いている」というニーチェの有名な言葉は、対象への注視が結果的に自分自身を映し出し、内面を試すような状況を表す。
応募条件が映す「価値観の鏡」という性質は、街コン婚活を真にコスパよく選択する、一つの指針を私に示した。

出会いは数ではなく、条件は鏡である。

今まで、たくさん出会えば、それだけ好みの人に出会える確率が上がると思っていた。
実際、出会いの場を広げるということは重要だと今も思う。
しかし、ただ無闇に母数を上げても、結果的にコスパが良いとは到底言えない。婚活以外にもやりたいことがあるし、時間もお金も有限である。無制限に出会い続けるのは時間も労力もかかるし、疲れる。仕事でもないのに無駄に疲れるのは嫌である。

それならば、自分がどのような価値観をもっているのか、どのような人に価値を感じるのか(惹かれるのか)、それに合致する鏡を選ぶべきだ。よく考えれば当たり前のことなのだが、焦りがあったり、モチベが高すぎると、その事実が見えなくなるので怖い。

街コン2回目にして、私は今月の街コン婚活の指針を大幅に変更することにした。笑

まず、今月の参加回数5回というノルマは撤回。
代わりに、本当に自分に合いそうな街コンを逃さず、可能な限り参加する。

次に、一度にたくさん出会えるという理由で街コンに注力したが、そもそも街コンのみに固執するのを撤回
無駄に参加せず、浮いた時間で、マッチングアプリのomiaiをインストールして始めてみた。
Pairsはやったことがあるが、omiaiは初である。婚活目的の人も多いようだから、一度試してみることにした。

同じく婚活中の仲間がいたら、お互い11月後半も駆け抜けていこう。不用意に疲れる必要はない、幸せ第一で。乾杯。

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