一粒のむこうがわ
お米をさわるのが、とても好きです。
田んぼをしていた身としては、いま自分で稲のお世話もしていないのにお米がいただけるなんてすごいことだなあと思ってしまう。
だからようこそようこそ、来てくれてありがとう、とすりすりしながら洗います。
自給的な暮らしをしてよかったのは、お米一粒の背景を想像できるようになったこと。
いまここにそれがある、ということは
去年誰かが種もみを選んで取っておいてくれて
それを苗床を用意して撒いてお世話をしてくれて
稲の赤ちゃんが芽吹いてすくすく育ち
それをまた誰かが田植えしてくれて
そこにお日さまが照り雨が降り風がふき
根が張って茎がのび穂が出て垂れて茶色く実り
それを誰かが収穫して脱穀して選別して精米して袋につめて
わたしのところに届けてくれた、ということ。
おなじように、暮らしのなかで手にするすべてのものが
「最初からあったわけではなくて、たくさんのヒトや生きもののおかげで今ここにある」
ということを、想像しやすくなったこと、
それが毎日をほんとうに豊かにしてくれた気がするな。
この写真は水キムチの講義用にひとりで必死に撮ったのだけど笑
ちょっと気に入ってます。