2022.02.23.
最近思うようになったこと。
これはわたしのなかでは、自分でもびっくりのなかなか大きな変化。
自分が書いた文章を見せて、「これはわたしが書きました」と言えるようになりたい。ということ。
これまで文章を書く時、特にnoteは知り合いには極力、というか絶対に限りなく近いくらいにバレたくないと思っていた。ここでしか話せない、もうひとりの自分のような気持ちで綴っていたところがあったのだ。
だけど最近、会ったことがある人に「これ、わたしのnoteです。」って言えるようになりたいと思うようになった。そして、「書く人」同士として繋がれることがもしあったなら、それもどんなに素敵なことかしらと思っていたりもする。
Instagramも始めた。正確には、アカウントはあったものの更新していなくて、最近少しずつ投稿を再開した。
Instagramは自分の「好き、すてき、なんだこれ愛しいな、綺麗すぎんか、幸せか!」みたいなものを詰め込んだ、雑多な、特別で大切な場所になりつつある。だから大々的には人には言っていない。少しずつ、ひっそり育てている。お気に入りの曲の話を、誰かと分かち合いたいような、やっぱり自分のなかだけに閉じ込めておきたいような、ずっとそのふたつを行ったりきたりするあの感じに近い。
自分の文章を好きになりたい。愛しいものは残しておきたい。感動なら感動したままに。悲しいなら悲しいままに。どんな内容でも、綴り方ひとつで、それは小さな宝石や葉っぱの上の水滴みたいに、きっとキラキラ輝く。わたしが好きなnoteのライターさんは、うれしいも、悲しいも、寂しいも、とても素直に表現されている。その人のなかから湧いた言葉と気持ちだ、と感じる。だから読んでいて心地よくて、ああとても好きだなあと思う。
noteも、Instagramも、コツコツと穴に放り投げるように入れたい。擬音にするなら「ぼんぼこ」入れたい。吟味しすぎず、ピンと来たもの。なんか良いなと思うもの。手にとって、ちょっと形をととのえて、ぼんぼこぼんぼこ穴に入れていく。やがてその穴の中に増えたものを、優しい目で、ページを捲るように見れるようになったら、それらまるごと含めて、「お邪魔します」とやってきた人に「どうも、わたくしこういう者です。」と、目を見て手渡し出来るようになる気がする。
だから今は、とりあえずコツコツ、ただ集める。ぼんぼこ入れていく。自分の愛しいものを。時に幸せで、時に切なくて、時に抱きしめたくなるかもしれない、そんなものたちを。
「自分」として、noteでも人と繋がれるようになりたい。本名を知っている相手にも、幼稚園の時にクラスが一緒だったあのこに読まれてもいいと思えるくらいになりたい。せっかく表現する場所があるなら、これからは大切に育てたい。「わたくしこういう者です。」って、書いたもののや積み重ねたものの束を大切に抱えて、堂々と笑いたい。
いただいたサポートで、お菓子を買います。 悲しくなった時にそのお菓子を食べて、また書いたり読んだりコツコツ紡いでいきます。目をとめてくださってありがとうございます*