見出し画像

2024年10月9日 木の減少=草・蔓の繁茂=緑の総面積

昨日、10月8日に自然を感じるお話会を店舗で実施させていただきました。
来てくださったみなさま、ありがとうございました!わたしがこちらに書いていることを好意的に受け取ってくださっていてありがたく感じました。
ただ、わたしのトーク力のなさが……( ;∀;)
伝えるのって難しいなあ。

雨でお外歩き出来なかったのがやはり残念。
後日、改めて同じルートでお外歩きしながら自然を感じる会を企画します。

自然のなかで、植物、鉱物、その他もろもろを見たり触れたり想像したりして「ほこっ」とする時間にできたらいいですね。



話は変わりますが、数日前コセンダングサ (小栴檀草) に思いを馳せてみました。
アレなんですって、近年この草の皆さんが元気に生えまくっているのは彼らなりの矜持みたいなものなんだそうです。

↑コセンダングサざます


実際生えてみたら、自分たちは他の草よりしっかりした茎に生長もできるし、もしかしたら生命力も強いほうなのでは……?
という自覚が強くなってきました。
太陽の威力も増して他の草が弱り始めても結構平気。
じゃあ、自分たちがここでしっかりしよう!
ということで近年特に逞しさをアップしてらっしゃる。

というのが私に浮かびました。
そっかー、うっとうしがったりしてごめんねー。
キク科の植物は、みなさん基本的にお強いですよね。よもぎもキク科です。

そんなことを思った数日後に、
木ぃをたくさん伐って緑の表面積が減った分、草や蔓が前より伸びたり巻いたりしてバランス保とうとしとるのやー
路肩のコンクリの隙間から伸びに伸びた草を見て、そんな言葉が浮かびました。

そうか。そうだよな、なんで今までそんな簡単なこと気がつかなかったんだろう!

地中の微かな毛細血管のような水脈が、建物・土木建造物(道路とか砂防ダムとかU字溝とかさぁ) などの建設や設置による圧力で切れてしまうので、その圧に対する抵抗で、とくに道沿いの草は伸びやすいのです。(高田広臣さんの著書やらお話より引用+わたしの脚色もあります)

だけれども、それだけじゃなかった。
緑の面積(表面積)っていう観点でもみんなでバランスを取っていたんですね。
そりゃ人間は生える草に文句言えないわ。

そこで気をつけたいのは、みなさん、
自然界に挨拶しないでいきなり行う草刈りや樹木伐採は、大量殺戮ですからね。
自分たちが地面から生えていたとして、ある日当然いきなりに胴体やら足首から上をズワッと切られてごらんなさい。どうですか?
何が何だかわからないでしょう。

土地があるから何か人間が利用する場所にしよう、と木を伐ったり草を刈ったり、土を掘ったりすることも、そこにある世界を無断で破壊していますからね。

自然界に手を入れて何か建造したり設置する場合、或いは伐採および収穫する場合、
それが増えることで、または減少・消滅することで、
もともとその場にいた存在にどう影響するのか、
負荷・負担がかかるとしたら、どう工夫して調和をはかるのか、
まず考えるのはそこなんじゃいかと思いますよね。
土の中にも、自然界の情報ネットワーク、栄養ネットワークなどなどをつなぐ微生物がたくさんいますから、急にそこ掘ってごらんなさいな、彼らの生活を混乱させますよ。

あ、だから農地に太陽光パネル建てるのもどうかしてると思います。農地に関わらず、太陽光パネル設置自体わたしは最初から違和感がありました。

多分あたしアトランティス時代に植物界との調和を専門にしてたようなので、地方の自然多めの土地利用をする際に他の命を軽視してる空気があると腹が立つようです。

ただ作業や工程に入る前に、伐ろうとする木、刈ろうとする草、掘ろうとする土、その他石とか苔とか、彼らすべてに敬意を払った上で、きちんとご挨拶してからなさってください。
思いやる心や敬意が伝われば、自然界は人間の好意を受け入れてくれます。

ひろく土地に手を入れる場合は、土中の水脈や空気循環を考慮した施工をしっかり学んでからやってください。何も知らないで勘も効かないのに、見よう見まねで自然界に手を入れるのは失礼にあたります。
と、思うのです。


以前チャネリングの練習を始めたときに、店の鉢植え植物のみなさんに片っ端から話しかけていたのですが、植物はやさしいですよ。
人間と全然違いますよ。

(人間たちはさあ、みなさんのお仲間とかをさあ、どんどん伐ったり、いい加減に扱ったりしてることもあるけどさあ、なにか人間にメッセージありますかー?)

「あのねー、ぼくたちはねー、
風に吹かれたり、
おひさまを浴びたり、
雨の水とか土の水を飲んだり、
ただそれだけなんだよー。

まわりに蝶々とか虫とか鳥さんたちもいて楽しいし、

だから、それだけでいいんだー。
それで充分なの。
それ以上には何もいらないの。

人間のひとたちは、
おこったり、
よろこんだり、
わらったり、
かなしんだり、
忙しいなあと思うよねー。

まあ、人間のみなさんは
ご自分たちでそういう一生を選んで生まれてきてるだろうから、それはそれでいいんだろうけど、

忙しくて大変な一生を選んで生まれて過ごしてて、
ほんとすごいなあと思ってるんだよー。」


みてよこの違い。
あわよくば自分たちの利になることに使えねぇかな
と思ってきた人間の、なんていうか、
かなしい部分……。

もう捨ててもいいんじゃないでしょうか。

いいなと思ったら応援しよう!