「ウエストサイドストーリー」にみる現在。
舞台とは、そもそも社会風刺や反発、怒りをエンタメという手法を用いて、さも楽しげに笑いを高揚を持って発信するのが常である。
1957年初演舞台「ウエストサイドストーリー」
アメリカンドリームに向かっていく開発進むNYダウンタウンを舞台に、プエルトリコ系移民と北欧系白人の分断をシェイクスピアの「ロミオとジュリエット」なぞらえ、
バーンスタインの素晴らしき音楽とともに紡がれる珠玉ミュージカル。
ミュージカル映画としては、1961年に製作され伝説に。
それを2021年、スピルバーグがリメイクした。
賛美両論あるが、私は圧倒的にスピルバーグ版派。
ダンスシーン、カット割、構成もろもろに、オリジナルはもちろんあらゆるミュージカル映画のオマージュが含まれた素晴らしさがあると思っている。
ダンスシーンをまた観たいぜ。と何気なくみはじめる。
作品は、はっきりいってバッドエンド。
やっぱり愛が大事なんだよ、何やってんのみんな。と、登場人物自体は答えは出さず、後悔と悲しみの終わり中、舞台は終わる。
そもそも本来の主人公の解決策は、ふりかかるその場から逃げて別天地にいくであった。
その未来叶わずな最悪な悲劇。
そして、いずれの答えは観客おのおのに問いかける。
最初はエンタメを楽しんでいたものの、物語が進む中降り積もる小さなあれこれ。
それは、最近の大統領戦にみる現在の「アメリカ」の私がもつ印象と見事に重なった。
あのアメリカンドリーム時代版のロミオとジュリエットが産んだバッドエンドの先。
その先の未来であるこの現代に、またあのバッドエンドがループしてる気にさえなった。
なんだか、これ。痛烈な風刺だなぁと。
2021年、スピルバーグがなんで今更この作品をリメイクしたのかなと思っていたが、
彼がいろんな現実を眺めながら、
少し先の未来を見据えて、この映画を作っていたとしたら、かなり唸った。
舞台は観客に答えを委ねた。
現実という舞台では、私達が演者であり、舞台の答えを委ねる観客はいない。
このタイミングで、観てよかった。
観なきゃいけない映画だったのかもしれない。