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『氷川きよし 25周年記念劇場コンサートツアー〜絆〜』を観る

『氷川きよし 25周年記念劇場コンサートツアー〜絆〜』in博多座

行ってきました!

今の「氷川きよし」を観てみたいと思って、チケットをおさえ、、、。

というか。これが全くチケットが取れず!
さすが地元。博多座瞬殺ソールドアウト。
なんとか色々駆使しての参戦。

3階席でした。
3階はスタッフ的な視点で
会場全体が観られるから結構好きなんです。

(すっごい長文リポです)

さて、今回のコンサートは、
休養を経て、復活した先日のキズナツアーとまた違った意味での「"劇場"コンサートツアー」

御園座、新歌舞伎座、明治座といわゆる、演歌興行的なハコで行われるツアー初日。

氷川きよし君(愛着を込めて君付け)は、
中学校が同じ。いわば地元の後輩が立派な歌手になって嬉しい限りというわけで、勝手な親近感の元、昔からなんとなく応援をしている。

同じ世代の歌手の中で、その存在は抜きんでいて、
しかし、拡がる独自の世界観は、演歌の枠が少し窮屈そうでもあった。

私は常々、ぼんやりとではあるが、いわゆる大御所がいなくなった後、演歌界を背負って立つのはこの人なんだろうなぁと思っていた。
なので、あの休養宣言は、スパッとその暗黙の流れを切ったかのような潔さがあった。

歌手生活の中、とくにあのザッツ昭和な演歌業界を走り続けて、いろいろ思うところがあったのだろう。
休養前のテレビ出演を眺めていて、昔の映像を振り返るシーンで本当に辛そうな顔をしていて、
この人はとにかく今、演歌がしんどいんだろうなと思った。これまでやってきた演歌を捨てたいと心底思っていたのかもしれない。
もしかしたら、もう歌いたくないとさえ思ったかも。

歌わない1年8ヶ月。
これまで捨てたもの得たもの、感じたもの、
いろんな整理をつけたのだろう。

復帰ライブの評判も聞いていたし。
さてどんなライブになるのやらとワクワク会場入り。
会場は、私(51歳)より若い人はほぼ皆無。
いわゆる演歌好きな後期高齢者の諸先輩方しかいない(同世代がいても多分付き添い的)

おー。どうなることやら。

幕が開く。

和なあつらえのステージ。
いきなり「氷川きよし」が袴姿でステージに鎮座。口上からのスタートである。
そこから、演歌がずーっと繰り広げられる。
歌いたくないとすらつぶやいた演歌をずっと。

曲が進むたびに伸びる歌声。
さすがの素晴らしさ。

泣けた。

これは「氷川きよし」の往年の、これまでの演歌のきよしが好きだったファンに向けた覚悟のステージであった。

多様性とはいえ、まだまだ理解できない人は多い、それも昭和を生きてきたご年配とあらば、尚更である。
風貌もガラッとイメチェンし、メタルやアニソンを熱唱する彼に違和感を感じる人も少なくない。嫌悪する人もいるかもしれない。

でも。これまで彼を支えてきたのは、そんな演歌なファンな人達なのである。

なんというか、このコンサートツアーは、そんな人に向けた落とし前というか。
離れようが離れまいが、いや、できることなら離れてほしくない。
そんなファンへ、今の自分の気持ちをきっちり伝える。
そんな意思に溢れていた。

新生キーナとして、氷川きよしを捨てるのではなく、氷川きよしもキーナも、いずれも含めた歌手として、彼は往年のファンの前に
あらわれた。

幕開け。かなり緊張していたとお見受けする。受け入れられるかられないか。
どちらかだからである。

さて。では。お客様はどうであったかというと。

稀有でした。
氷川君。稀有でしたよ。

ペンライト率高め(後からわかったが。ずっと手拍子よりペンライト振る方が楽)
お手製の法被に、お手製の画用紙で書いた「待ってたよ!きよしくん」の垂れ幕をもって、キャイキャイするお姉様方。
もちろんお兄様方もペンライトを両手に持っている。

何この。ハートフルな会場。

幕開け口上からのハケに、笑いがおこる。
ん?笑うところじゃないはず。
そんなシーンがいくつかあった。

早替わりでミュージシャンだけになるシーンがいくつかあって、映像とかダンサーとか入れたらいいのに、いやいやそうすると予算がなどなどと巡らしていて、ふと会場を見渡すと、ワラワラと会場を行き来する後期高齢者な皆様。
「あ!これトイレ休憩仕様だ!」なんとも世代に合わせた演出に納得。

前半こそ、MC挟まず、一気に歌い切ったが、後半のお客様とのやりとりを見るにつけ、
嗚呼、氷川君はこうやって、コツコツファンの皆さんと繋がってきたんだなと実感。

舞台美術、演奏がシンプルであったのだが、
そうである。
これは旧事務所から独立した新体制でのスタート。
1人ではじめる。を観てもらう。
も、大事なテーマであったのだろう。
グッズ宣伝も自身で行う頑張りっぷりに、お客様終始、目尻緩みっぱなし。

そして、
最後まで演歌を貫き通したコンサート。

最後の最後、アンコール。
ラスト1曲だけが、唯一おなじみドラゴンボールのアレでした。
アンコール2曲。うち1曲は、あれだけ歌いたくなかったズンドコ節。

この2曲に関しては、「よかったら、立ってノリノリで!」とコール。
わらわらと立ち上がる諸先輩方。

演歌なコンサートでお客さんが立って盛り上がるって、初めて観たよ。

このズンドコ節だけじゃなく、ほかにも随所に「き.よ.し‼️」コールが会場に響き渡る。
おばちゃんのガヤじゃなく、嬉々とした黄色い声援。なんならお父さんも叫んでた!

会場一体です。ほんと熱い!暖かい!

最後のあの曲に至っては、
いずれのフェス並に、ペンライトが揺れ、へっちゃらにコールも炸裂。
いわゆりノリノリッッ!
若いヒトの歌は耳障りとさえ思うヒトも多かろう世代があの曲に乗りまくっている。

も、その姿に泣けて泣けて仕方なかった。

なんといいますか、
40歳で応援しはじめた人ですら65歳。
いうなれば、ファンにとって、彼はかわいい孫なんである。
かわいい孫のような青年をずっと応援してきたその月日は長い。

「よそん人は反対したかもばってん。じいちゃんばあちゃんは、いつでんどげんでも応援すっけん。お前が一生懸命頑張っとったら、なんでんよかよー。」

な、空気っていうんでしょうか。
あの笑うとこじゃないシーンでの笑いも、
氷川きよしくんの一挙手一投足が可愛くて仕方ない。そういうあらわれかと思います。

結局、悪くいうようなファンは、そこまでのファンじゃない。
とくに地元博多は、ずっと彼を応援する。

そんな気概をみたような博多座の瞬殺ソールドアウトなコンサートでした。

明太子のかねふくが休業中も応援の新聞広告をだし、あらたなビジュアルをもって、スポンサーをおりなかったのも頷けます。

コンサート全体を通して、演出諸々含め、やはりこの人は、演歌で生きてきた人でした。

改めて、休養を経て帰ってきた「氷川きよし=キーナ」に、あの休養前の辛さはなく、
演歌と真摯に向き合い、自分の中の矛盾と疑問に向き合い、25年の月日をちゃんと消化し、新しい世界観を見に纏いさらに高みを目指す。
そんな歌い手として、より深みを携えて歌の世界に帰ってきました。

もちろんレベルは違いますが、自分の45歳の時、25周年の時と重なる心境もあり、
なんだか本当に、泣けて仕方なかったし、本当、その姿に鼓舞されました。

素晴らしかったです。

これからますます見逃せないなと感じた。
そんなコンサートでした。

ちなみに。
そこはおばちゃんパワーに圧倒されて売場には辿り着けず、グッズはゲットできませんでした笑



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