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浮かぶものをつぎつぎと
メッセージ性を持とう。何か役立つものを書こう。そう思って書くと言葉がよそよそしくなる。そして、書きなれた報告文書へと文字が並べられ、どこか教科書めいてくる。書いていたそのときの温度がぬけていく。
温度が残ったままで、たのしく読んでもらいたい。そう思ってるはずなのに、出来上がった分を読み通したときに温度を感じられない文章にみえる。そのショックは大きい!!
これが、いま私の頭に浮かんでいるものことだ。
先日、友人たち数人でおやつタイムを持った。その中のひとりが最近になってブログを書き始めたそうで、ブログを書くときに心がけてることが話題に上った。
「頭の中に浮かぶものを、つぎつぎと書いていくと感情が言葉の中に残りやすい」とは、とある友人のことば。その友人(友人Aとしよう)のブログは、書いた言葉からその人が見えてくるような、たのしげなもの。
いつまでも報告調の文章が抜けない気がして、友人Aのかく言葉をうらやましく思っていた私はさっそく同じように書いてみた。それなのに、友人Aが書くもののようなたのしさが言葉の中に残らない!
わたしに「たのしさ」ある言葉を残すことは、まだ無理みたい。それとも、わたしの考えすぎ??
友人Aには友人Aから浮かぶことばがあって、わたしにはわたしから浮かぶことばがある。だから、みんな違ってみんないい。金子みすゞの詩にあるとおりなんだからね。……とはいえ隣の芝生が青く見える。
うらやましく思うことは、しかたがない。お互いがお互いの書いているものをうらやましがって、あれこれ試して書いている。うらやましいなとあこがれるものがあるから、試行錯誤することができる。試行錯誤するから続けていける。お互いに、それを知ってみんなで笑った。
おやつタイムのあとで、それぞれの書くブログのURLを交換し合った。たまに友人たちのようすをのぞきにいこう。それぞれの試行錯誤をながめていこう。
次、会うことを約束した年末ころには「たのしい」言葉のリズムがのこる書き方ができてますように。(報告文書の作成が増えるから、やっぱり今のままになってしまうのだろうか)