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感情を体感しづらい私が知った恋愛(の感覚)

誰かの文章を読んで、感じる何かを。勝手にリレーしてみる。

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「恋愛」にあこがれを持っている。小説やコミックのなかに在る恋愛は、どきどき、はらはら。きゅんとして美しく。どんな形の恋愛であっても素敵だなと鑑賞している。

それなのに、わたしは自分の恋愛がわからない。恋愛をしているかどうか、実感がないというのが正直なところ。

実感がないところを補うため、小説やコミックなどの2次元情報、周りの方々の体験をきいたものなどをかき集める。その最小公約数的な感覚を、恋愛として理解しようしている。

感情を実感できない私が恋愛を考えるのは、申し訳ないとも思っている。

周りの人の感情は、気配や色で読み取っている。皮膚感覚で知ることも多い。それなのに、自分自身の感情はもやっとしていて、形には見えない。感じ取ることも難しい。

だから、恋愛がどんなものか。自分ではわからなかった。

そんな思いある中で、ともこさんのこの記事を読んだ。

「ほかのひとより一歩だけ近くに行きたい」
それが恋の入り口だと、ともこさんはいう。

「ほかのひとより一歩だけ近くに行きたい」と感じたとき、恋愛センサーが動いているのだとしたら……感情を理解できない(気がしている)わたしでも恋愛がわかるかもしれない。

会ったときの別れ際。もうちょっと顔を見たかったなと感じる。
きれいな景色を見て、あの人にも見せたいなと思い出す。
その人の笑顔をもっとみたいと願う。
そばにいて、いろいろな表情を見てみたい。

そんなのが、全部、恋愛センサーの働きだったとしたら?

感情がわからないと嘆いているわたしにも、恋愛はできるかなと安心した。ほっとした。

もしかしたら、「恋愛」も「感情」も、人それぞれに思う形が違いすぎて。まとまった話が難しいだけなのだろうか。自分が思っているより、適当でいい加減で、つかみどころのないものが「恋愛」や「感情」なのかもしれない。

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おもしろいね。同じことを書いても、人ひとりずつ表現が違う。読むタイミングが違う。どんどん読んで、積み重なってきた何かが、ある時にふわっとあふれ出る。そして、実感になって腑に落ちる。

今回、この恋愛についてのともこさんの記事が、わたしにとって感覚があふれ出た瞬間のものになった。ありがとうございました。

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