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「死」についての徒然

親戚が、抗がん剤治療を辞めたと連絡があった。
今までの治療でどのくらいの効果があったのか詳細は分からない。
でも、きっと何かしらの覚悟を周りはし始める頃合いなのだろう。

今年に入ってから、別れがテーマだ。
同僚の転勤が決まり、勤めていた店舗は閉店し、上記のこともあった。
その流れで、別れから死を考えてしまった。

いつも死について考えると、自分というものがなくなって、永遠に意識がなくなるということを考え、どうしようもなく怖くなる。
産まれてきたものは必ず死ぬ。それは避けられない。
でも、1日1日を大切に生きているかと問われれば、惰性で流している日もあるし、もっと頑張れた日もある。

改めて死について考えると、気になっている異性には積極的にアプローチした方が良いと思うし、やりたいことはすぐにやったほうがいい。
でも、結局勇気がなくて前に踏み出せなかったり、お金を理由にやらなかったりする。
そうやって、1日が過ぎ、1ヶ月が過ぎ、1年が過ぎて行く。
死が、ドンドン近付いて来る。
でも、既に余生なのだよなと思うと、そこまで焦らなくてもいいかという考えもできる。

余生と思う理由は、自分が社会に向いていないと、10代の頃には気が付いていて、大学を卒業したら死ぬと自分で決めていたから。
勿論、それを実行する勇気なんかなくて、今じゃ大学を卒業してから12年経っているが、今日も普通に生きている。
ただ、社会で生きていくのは向いていないのは事実だったので、やっぱり苦労した。

その中で、死を何度も考えた。
普通の人よりも、死の近くにいたと思う。
だから、人はわりと簡単に死ぬことを私は知っている。
病気、孤独、貧困、イジメ。
命を奪われる者、命を断つ者。

それと相反して、人はしぶとく生きる。
家族、友人、生産、居場所、治療。
生きるって、活きるってこんなキーワードだと思う。

その人の苦しみは分からないし、医者ではないので私にはそれを治しようがない。
でも、居場所を作ったり、友人になったり、生産ができるように支援をしたりはできる気がする。(あと、家族の雰囲気が変わるだけで、本当に生きやすくなるので、家族支援はもっと力を入れたいところ)
そんな思いで、たぶん明日も支援職の仕事をやっています。

また明日。また来週。来てくれると嬉しいです。待ってます。
別れ際に必ず声かけするようにしている言葉です。
この言葉が、その人から死を、少しでも遠ざけられるように。

とりとめのない記事になってしまったけど、ただアウトプットしたかっただけなのでご容赦ください。

アウトプットのきっかけ
「アポトーシス」
「恥ずかしいか青春は」
「This is Me」
この辺の曲を聴いたら、色々考えちゃいました。

何か感じてもらえると嬉しいです。

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