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2021/5/20-21(金)言い訳は本人の気もむしばむよ


昨日の続き。

一昨日からの一連の記事は、具体的に名指しはしませんが特定の力士を想定しながら書いてました。

まあ何らかの理由があったんでしょう。以前から節目節目に立ち合いの変化で勝つ力士ではあったんですが、さすがにもう封印してくれたかと。甘かった。この人の注文相撲は決まるんです。めったにそういう相撲をしないので相手もまた油断しきっています。相撲勘もピカイチなのでタイミングも完璧です。

そうまでして勝った翌日の相撲の、まあ覇気のないこと。こちらとしても前日あんな相撲見せられて応援する気も起きませんでした。不調ながらも奮闘している大関の勝ち越しも当然願っていますから、こうなったら大関のほう応援しますよね(※5/18現在。なおこの大関も自滅しました)。

基本、相撲ファンってのはどの力士もまんべんなく好きですから一方だけを熱烈に応援するというのはそれほどなく、つまり贔屓の取組だとて心は51対49の割合で揺れ動いているもんです。贔屓が勝てば嬉しいけれど負けた相手の星勘定を思うとかなしみもある。そんなもんです。

常に微妙に揺れ動く、ファンの「気」、つまり人気というものを自ら手放してしまったことに本人も気が付いてくれたのか、なんとも気のこもらない相撲内容でした。いや、自分の事情を優先した結果、人の気だけでなく自分自身の気も削ってしまったのではないですか。

情けは人のためならずといいますが、やせ我慢もまた人のためならず。自分のためにこそやせ我慢。

それこそお相撲さんは人の気によって何かから守られているような感じも強く受けるのです。人の気によって力士本人の気もまた充実していく側面もあるように思います。そうやって気を充実させた力士を見て、人の気もまた高まっていきます。

ああいう変化は成功しないほうがいいんです。一度成功すると癖になって何度もやります。そのたびに気を削っていくのでしょう。人のも、自分自身のも。


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たまやまめふく
武者修行中です。皆様に面白く読んでいただけるような読み物をめざしてがんばります。