2024/2/28(水) 誰の味方にもならない人は嫌われる、だけじゃなく、
有害。
ああ、結局のところ私って、せっかく近づいてくださった人たちに嫌われるためだけに文章書いてるんだろうな。
自分の意見を正直そのまま書くことは、ただの分断をもたらすだけだと。
人に嫌われたくなければ自分の意見を言わないこと。
今いる居場所に見合ったことだけ言っておくこと。
文章とは、意見とは、剣であり、暴力なんだわ。誰が何と言おうとね。
それを見聞きする側に受け止められる強さが備わっているかいないかの話でしかない。
いやんなっちゃう。
中立国の話。
中立国には二種類あって、スイスみたいに自国の武力をしっかり保持した永世中立国な国と、強国にはさまれてる小国が緩衝国として中立の立場を取らされてるのと。
人付き合いも全く同じ、ほとんどの場合は消極的中立を保つか、自分を守ってくれてるいわば親分の肩を持つか、結局はどちらかにならざるを得ないわけで、どちらにもくみしません、私は常に客観的で是々非々な態度を崩さない、なんてのはよっぽど経済的にも精神的にも自立してなきゃ無理、というよりもおそらく周りが同じくらいに大人だから成立してるというだけ。そもそもものわかりのよい方々ばかりではないのだから万が一様々な妨害や嫌がらせがあったとしてもちゃんと自前で処理できる強さがないと維持できない。
まあまともな国たちがなんだかんだで守ってるとか、そういう国があったほうが何かと都合がいいから、くらいに考えておいたほうがいいんでしょう。その国自体が素晴らしいのではなく地理的な偶然でたまたまそういう役割を負っているくらいに思っといたほうが。
中立なんて、客観なんて、ばかみたい。
これからますます自分の意見などもたないほうがいい時代に突入していくと私は見ています。嫌われるから。居場所なくしていくから。つまりあぶないから。
世界全体がものすごい勢いで幼稚化しているの、みんな気づいているでしょう?
あるいは「違う意見」という名目のあまりに無茶で絶え間なく殴りつけられる暴力に、誰も彼もがもう耐えきれなくなってしまったというだけかもしれないね。
攻撃するほうも身勝手だし、受けるほうにも耐性がない。
そのくせ幼児と違うのは互いに致命傷を負わせるだけの腕力だけはあるのだ。
どうしたらいいのでしょうね。
ルール内の攻撃であればちゃんといなして対処できる人。
やられっぱなしである必要はなく、殴り返すための安全な流儀を知っている人。
殴ったら殴り返されるという覚悟を持って意見言える人(えらそうに書いてきて私自身が覚悟足りてないうえ精神的タフさを持ち合わせてないダメダメなのだが)。
文章を書くことだって格闘技なのですよね。
格闘技は自分も攻撃するかわり相手からも攻撃をくらうから、格闘技として成り立つのです。
自分だけが一方的に殴り続けるんであればそんなもんただの暴力であり犯罪なのですよ。
書きのこしておきたい欲求よりも、書いてもどうせろくなことにならないという自分自身への嫌悪感にさいなまれてばかりです。
傷つけるのも殴られるのもどちらもいやなら、なにひとつ書いちゃだめ。
そしていつも指摘していることだけど私たちの表現の自由なんてもんは権利でもなんでもなく受け取り手の度量と寛容さで保証されてるだけなんですよと。受け取り手が数倍返しで殴り返してきたらそれで終了する程度のものなんですよと。