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2021/8/26-27(金)無駄になったらなったで幸せなのだ


起きてほしくない事態に備えての準備。縁起でもないし、想像するだけでも嫌になります。で、ここまで準備して結局使わなかったらこの努力とかけたお金、無駄じゃない、とか。

でもね思うんです。それこそ無駄になれ、って。

こういう話をするとどうしても宗教臭い感じになっちゃうんだけども「備え」って元来そういうものだと思うんですよね。無駄になるほうがめでたい。

国民皆保険などで時々聞かされる「自分は健康で病院にかからないのに」「不摂生の人たちの分まで私たちが支払うなんて」という類の不満。いいじゃん健康なんだから。これこそ捨て金でなきゃ困るものの筆頭。いくら元が取れたとしても自分の支払い能力をゆうに超えるような病気にかかって幸せなわけあるかと。

元は私たちのお金なんだから大事に使ってねとは思うけれど、実際、まあそこそこ払ってるなあとため息は出るけれど、とある病で病院通いしていた頃のことを思うとあんな日々はもうこりごり。そしてどれだけ公費が有難かったか。健康であるというだけで見知らぬ誰かの人助けになっているのだとしたら、こんなに簡単に徳を積める機会ないんですから払いますよ私は。

掛け捨ての医療保険や障害年金等不測の事態に対する補償という側面からの国民年金もそうで、その手の還付が一切なくて済むのが最も幸せなことなんですよね。あ、もちろん年取ったら年金はちゃんともらいたいですが。

「備え」ってのは将来の不幸な姿を具体的に思い浮かべることでもあって、備えをすること自体が精神的苦痛を伴うものだなと常々実感しています。それでもやんなきゃいけないし、思い浮かべなきゃいけないし、同時にこの最悪のイメージがご破算になってくれることを願いながら準備をするという、なんとも奇妙な儀式。

備えとは未来の不幸と向き合う勇気であり、同時にかけてきた労力をきれいに手放せる潔さであるのかもしれません。


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たまやまめふく
武者修行中です。皆様に面白く読んでいただけるような読み物をめざしてがんばります。