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2023/12/29(金)年末だし2023年を振り返ってみようかと思う。

 年を取れば取るほど一年が短く感じられるようになるといいます。ここ数年、そして昨年まではそんな感じだったのに今年だけはとても長い一年に感じられました。数年前の出来事だったかなと振り返ったことが今年の出来事だったり。どうしたのかな私の時間感覚。バグったか。来年以降どうなるか。

 今年はお相撲の感想だけは定期的に、あとは読んだ本のレビューを不定期にアップしてはいたものの、ほとんど更新できませんでした。
 しなかったのではないと思います。気持ち的にできなかったのです。
 私のTwitterを見てくださっている人はお気づきでしょうしウクライナ侵攻以降のnoteで同じようなことしか書けなくなってしまったことからもうかがえる通り、明るく無邪気なことがちっとも書けなくなってしまったのですよね。くらーいことばっか書いてる。単に私が年取ったというのもあるのでしょう。いやいや以前からその兆候はあったぞと言われてしまえばそれまでですが。
 もっといい加減な人間だったのになあ。

 だって実際暗い一年でしたよ。
 そしてこの先はさらにもっと暗くなっていく。
 日本も、世界も、もはや誰もが欲を隠さなくなってしまっているから。
 奪うことしか考えてないから。

 それでも私たちは正気を保たなければなりません。
 愚か者たちによるいつまで続くかわからない長い冬にあっても芽吹きの春を信じ続けなければならないのです。
 最小限の生き方を取り戻し、かつ「財産」を最大限後世に残すことだけを考えて。
 後世に残す価値のある財産、それはお金じゃないです。お金は人に奪われる、ここでいう財産とは誰にも奪われないものです。
 一人一人がその財産を築けているか、そして遺す努力をしているか。

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 今年の振り返り。
 今年は最初から最後まで膿出しの一年だったのではないでしょうか。
 世間はそれを不祥事というのですが。

 思い出せる範囲でも、ジャニーズとテレビ業界、宝塚、ビッグモーターと損保会社、自民党パーティー券問題、ダイハツ。展開次第では芸能系でもう一つ大きいのが加わるかもしれません。
 駅弁食中毒、冷凍クリスマスケーキの一件や地方でのタクシー不足、バス運休問題など、キャパオーバーを疑われる事態、人手不足、流通インフラの崩壊が予感される出来事も目立ちます。

 膿出しについては問題そのものの深刻さもそうなのですが、むしろ「知っていたのにみんなわが身かわいさに見て見ぬふりして黙殺してきた」という膿のほうが圧倒的に深刻。
 ジャニーズ問題の悪質さはむしろこちらだと私は思っています。
 海外の力を借りなければ動かすことができなかった、というより、海外に騒いでもらわないとなんともできないって、この業界どれだけ一枚岩の世界だったんだよと。権力の一元化がとんでもないことに実はなってるということの現れですよね。分散してないんです。なにひとつ独立してないんです。テレビ局あんなにいろいろあるのにね。

 政治もひどい。
 森永卓郎さんの『ザイム真理教』はぜひ読んでもらいたい(同様の主張はふつうにあちこちで読めるし突飛な話でもなんでもないのですが、この本が一番わかりやすいのです)。今起きてることの主軸に財務省を置くことですべてがすんなり解読できるようになります、と書くとまさしく陰謀論的主張になってしまうので、だったらもう信じるも信じないもあなた次第で構わないです。ああほんと陰謀論って迷惑だわ。
 官僚(検察含む)と新聞・マスコミと金融・経済界が三位一体でタッグを組めばだいたいの世論操作はできちゃうってことは気にかけておいてもいいんじゃないかなって思います。
 政治家なんておにんぎょうさんでしかないのね。こんなの私らが選挙でどれだけすげかえたところで洗脳しちゃえば一発だし、洗脳しきれず自我出して彼らに都合悪いことやろうもんなら、今までずっと黙認してあげてたスキャンダル一発出しゃ終了だもんね。パーティー券裏金問題なんてそりゃそう簡単に今まで証拠が取れなかったってのもあるのだろうけど、なんで今なんだろうね。タイミングとしては最高なんですよね。
 官僚たちは当然単体では何もできないので自分たちにとって有能なフロントマン(手下ともいう)を必要とするんだけど、そういう点で岸田一派はものすごく有能で使い勝手がいいのでしょう。ウィンウィン。減税なんてふざけたこといったから脅しかけてそのあとに甘い甘い飴。もう大丈夫でしょう。あの一派、二度と減税なんて口にすることはないでしょうね。

 バカバカしいなあ。
 なんの茶番を見せられているのだろうなあ。
 大河ドラマで見るような権力闘争をリアルタイムで見せてもらえてると思えばお得かもしれません。

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 ついてこれてますか。もうかなりうんざりしてませんか。
 それが怖くて書けなかったの。
 事情通でもなんでもないただの一般人が手に入る公開情報だけで書いてる話なんだから聞く価値なんかないもんね。ましてや不快になるだけでしょ。
 わかってんだ。
 わかってるけどさ。

 でもここから始めないとだめだと私は思ってるから。
 
 まああと、こんなのたぶん先人がとっくの昔に指摘してんだ。
 正しいなら。どっかにあるはずだ。
 でも最近の言論では見かけたことないからさ。

 私たち一人ひとりに社会をよくする力はない。
 私たちは社会正義を口実に、いつも利用されてるだけなんだ。
 因幡の白兎に出てくるワニの一群なんだよ。

 ワニに出来ることはたったの二つ。
 応援する人たちを向こう岸からあちらの岸まで渡してあげること。
 もう一つは嘘と裏切りの相手をよってたかって傷つけ痛めつけること。

 私たちには信じた人を支持することと、裏切った人を破壊すること。その二つしかできない。

 そうでしょ。それ以外のことできるわけない。だって選挙の一票にそれ以上の意図を含められると本気で思ってるの?そんなわけないでしょ。
 私たちは自分たちの無力さともっと真摯に向き合うべきです。
 現実を受け入れるべき。そうでないといつまでも都合よく利用され降り回され続けるだけです。
 それだけならいい。責任だけ全部私たちに負わされる。その一票を投じたのはあなたたちでしょうと。この無茶苦茶さに私たちは丸め込まれちゃいけない。怒らなきゃいけない。

 間違ってるのはあなたたちであり、裏切っているのはあなたたちであり、そもそも選挙で私たちが審判を下せない人たちが自分たちの思う正しさで政治を左右しているのだから。
 よって全責任を負うのは私たちではない。選挙で選ばれた人たちであり、そもそもその背後で政治を牛耳っている人たち全員なのだと。

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 ちなみに選挙の一票でできるのは「支持」することのみであり、落選運動など不可能だということは以前どっかのnoteに書きました。
 気に食わない相手が落選したとしたらそれは固定票が何らかの理由で割れたか失われたから。つまり内部崩壊。私らの手柄じゃありませんよ。

 支持する相手がいない場合、私たちにできるのは棄権のみなのですよ。反対の意を示したいだけの理由でまったく支持できない相手にしぶしぶ票を入れるってのもおかしいんです本来は。我々の怒りや失望を反対陣営に利用されてるだけなんだもの。

 では破壊とは?
 自国民にその手段を取らせた時点でその国は終わりですよ。
 そして私らの世代の日本人は頭がいいからそんなことしないだけです。黙って受け入れ一緒に腐る道を選ぶだけです。
 その下の世代は知りませんが。

 最初から最後までボールは政治というゲームに携わる一部の人たちの手の中にしかないのです。その責任の重さに気づいてほしい。人としての心を、お天道様の照らす道を、倫理を取り戻してほしい。

 支持される人で、組織であり続けてください。
 心からお願いします。
 私たちに支持を、応援をさせてください。
 
 民主主義とはその時だけ、初めて意味をなすのでしょう。
 私たちが支持する政府。
 選挙があるから民主主義なのではなく、支持されるべき人たちによって運営されているからこそ私たちが心から支持できる民主的な政府でありうるのだと。
 民主主義というのは手段ではなく、正しい政治をなした、なそうと努力してきた政府(官僚も含む)へのごほうびであり理想的な現象のことなのではないかと。

 そんなことを思ったのです。今年私は。

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 私たちの世代は。
 遊んで暮らす子ども時代を知っています。監視なく自由にかけまわり束縛されない生き方を知っています。
 その一方で大人たちは私たちのことを見てくれてました。
 そのまなざしをちゃんと知っています。

 テレビしかなかった。夜は暗かったから家にいた。
 電話は家に一台のみ。
 四六時中誰かと連絡が取れてしまうようなものなどなかった。
 時間つぶしは本かマンガ。お小遣いで買ったCDを繰り返し何度も何度も。
 電車や車では窓の外を見ながらいろいろ考えをめぐらしていた。

 ひとことで言えばひまだった。
 ひまで自由で。適当で雑で。
 大人は叩くし怒鳴るし、間違えまくるし。

 でもさ、楽しかったよ。 
 当然一定の範囲でだけれど、大人も子どもも間違えることが許されてたんだよ。

 今は真逆ですよね。すべてが。

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 私はこの世界にそれでも肯定的な何かを信じています。
 それは親世代たち、当時の大人たちが私に遺してくれた財産だと思います。
 理屈じゃなく。根拠もない。
 たぶん愛されてたんです。口先ではなく一度でもほんとうに愛されて育った人たちの中にはこれがある。
 誰かへの愛、とりわけ子どもたちへのをアピールする人たちはこの時代びっくりするほどいっぱいいます。だけどね申し訳ない、私はその人たちから本当の愛を感じたことは一度もないな。愛にあふれてる私を見てほしいというメッセージだけは伝わるけれど。
 愛ってもっと静かで見えないんだよ。そして見えないのに第三者にはけっこう見えてるものでもあるんだよわりとね。嘘つき多いよね今は。人からの評価を糧に生きてる人が多いよね。あれなんなんだろうか。いつからそうなったんだ。

 同じ日本人といえども私たちのころの日本人ではなくなっているのでしょう。
 年を取る、世代が変わっていくということはこういうことなんだよと言われてしまえばそうかもしれませんが、ちょっとそういうのとも違う気がしています。びくびくしながら生きてないか? そのくせ小心者ほど反動でいきなり大胆におかしなことをすることがあるように、何かのきっかけで突発的な爆発がいつか起きてしまうんじゃないのか。

 私たちと同じ心性を受け継いでる若い子たちほど、もしかしたら子どもを産む選択を放棄してしまってるのではないかと思うくらいです。
 ほめられたい人たちだけが、社会的に認められたい人たちだけが、もしくは一つも後先を考えてない人たちだけが、積極的に子を持つ、そしてその子たちが成人する社会の先にに待っているものってなんだろうなあ。

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 とにかく今年はいろんな膿が表沙汰になった一年だったという印象です。
 膿を出したから終わりじゃなく、誰がこの膿を生み出したのか。
 根源の病理となっているものはなにか。
 そこをちゃんと原因究明できるかどうか。
 見たくないもの、見たくない現実もそこにはあると思います。信じてたものがただの幻想だったとか適当な作り話だったとか、そういうことと向き合わなければいけなくなるかもしれません。
 今の枠組みを、壊さなくていい、違う目線で、誰かの語るストーリーからではなく違うストーリーから捉えなおしたらどうなるか、それが出来たら、もしかしたら少し何かが変わるんじゃないかと思っています。
 今のままではだめ、従来のストーリーに従ったままではだめ、私たちが頭の枠組み、自動化され当たり前になっている行動一つ一つを見直さなくてはならない、ということを今年の出来事たちは教えてくれてる気がしています。

 ただその試みの中で答えのわかりやすい陰謀論にだけは飲み込まれないでくださいねとだけ。それは誰かのストーリーからほかの誰かのストーリーに乗り換えただけで、それじゃあやってることはなにも変わっちゃいないんですよと。

 半径数メートルの自分自身の周りの人たちにまず耳を傾け、ともに穏やかに暮らすという地味で当たり前のことに回帰できるかどうかがこれからの時代を乗り越えられるかどうかのカギになるような気もしています。
 人としての当たり前を取り戻す。世の中の流行りが何を言おうとも、何を怖がらせようとも、今の自分たちに大事なものがなにかを忘れずに生きていく。
 自分たちに必要な最低限と、今の自分にできる最大限と、そのどちらも正確に見極めておく。世間の妄想に踊らされない。
 そしてそういう生き方の軸をしっかり遺す。

 結局まとまりないままこの文章を閉じることになりますが、まんまこんな感じのことをひたすらぐるぐる考えていた一年でした。

 もうすぐまた新しい年。
 とにかく生きましょう。
 自分なりに正しく、誇りを持って。
 最後の最後までやれることやれるように。

 本来の命の使い切り方ができるように。

 

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たまやまめふく
武者修行中です。皆様に面白く読んでいただけるような読み物をめざしてがんばります。