2021/5/29-30(日)好かれるとは水物
一昨日と昨日のnoteを書いたあと、どっと疲れが出てしまいました。テーマが重すぎる。ものすごくあちらこちらに気を配りながら書く感じ。
差別の問題とか対等な関係とか、そのあたりを一度私なりに問題整理して文章化し、共有したいなと思っているのですけれど、考えをまとめようとすればするほど当事者の深刻度を思うとデリケートな問題であることを痛感せざるを得ず、だからといってこのまま傍観したままでは極端と極端の平行線の主張(議論ではないもの)ばかりを見させられて、私たちが現実問題として差別について本音のところをもの申すこと自体がタブーになってしまうのではないか、という不安があるのです。
ともあれこのテーマからはいったん距離をおきましょう。少なくとも今日一日は。日曜だし。
そうそう先日アップしたnoteの一つにまさかの二桁スキがついておりました。なんとありがたいことかと感謝しております。何が評価されたのか全くわかりませんが。
評価されない理由はいつだってうっすらわかってるというのに。まさしく野村克也さん言うところの「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」というやつです。これ私の座右の銘に掲げようかしら。
勝ち負けも好き嫌いも基本似てるなと思うのは、何がいったい好まれているのかなんて自分ではわからないのに、嫌われる原因については自分でもだいたいわかってるという点。嫌われる原因を改善しなければ嫌われたままだけど、じゃあそこ改善したら絶対に好かれるか、と言われたらそんなことはないという点も。
嫌われない努力は比較的報われやすい一方、それ以上に好かれようと思ったら報われるとは限らない努力を重ねた上であとは偶然にゆだねるしかないという。人事を尽くして天命を待つというやつです。
かと思うとなんの努力もしてないことで評価されたり好かれたりすることもありますし。好かれるとは、なんとまあ水物なことだろう。