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2022/9/5(月)頭の良し悪しなんてほんとに判断できるの?
休日はTwitterをやらないようにしています。ついつい見てしまうこともないではないですがそういう時もROMに留めるように。オンとオフを自分の中で線引きしておくのはとても大事。
そうはいっても時々気になるトピックスが飛び交っていることがあり。
先日飛び交っていたのは「本当に頭のいい人とは」。
みんな好きだし食いつきますよねこの話題。手を替え品を変えしょっちゅう話題にあがってる。
でもねこれ違うんですよね、頭のいい人の話をしたいのではなく、常日頃からむかついている「頭のいいふりをしているえらそうなバカ」を皆で吊るし上げたいだけなんですね。
そのために「本当に頭のいい人」などという、本当にいるかいないかわからない存在を想定してるだけ。
思うんです。本当に頭のいい人と頭のいいふりしてる人とを見分ける基準なんてもの、そもそも存在してないんじゃないかって。
いや、もっときついことを言うとさ。
「自分より頭のいい人に対しては、本当に頭がいいかどうかの判断をすること自体が無理」なんだと。
自分よりも理解が乏しい人かどうかはわかります。
自分よりも思慮が浅はかかどうかというのもわかります。
つまり人は自分の能力よりも下の人間のことしか評価できないってこと。
どんなにイキっている人(B)でも、その人より能力の高い人(A)から見れば「バカじゃねーの」かもしれない。Bを正しく評価できない人たちが、だけど口ではBはダメだと悪口を言う、その根拠は「Aというさらに賢い(と世の中が認めているだけで、これもやはり自分基準で評価できてるわけではない)人がこう言ってるんからBはダメ」と言ってるだけなことも多いように思います。
あるいはBという人の態度が悪いとか、なんとなく気に食わないとか、そういう不快感が先にあり、不快感の根拠づけとして「Bはだからダメだ」という理由を後付けで探しているだけとか。
私たちに見分けがつくのは、ただ二つ。
自分より頭の悪い人と、自分の頭では理解ができない人。この二つだけ。
そしてとても大事なこと。自分の頭では理解のできない人の中にも当然、大バカ者はたくさんいます。
ただそれを正しく見抜けるのは彼らよりも頭のいい人たちだけです。
残念ながら私たちには判断できない。
判断できないからこそこれまでの経験に基づく勘や小さな違和感、本能的な好き嫌いだけを手がかりにせざるを得ないのです。
自分の頭では理解できない人だから、誰か賢そうな人の目を借りて一緒になってバカ呼ばわりするか、あるいは正しいことを言っているはずだと盲目的に信仰するか、多くの人がそのどちらかの立場しかとれないのはそのせいじゃないかなと私は仮説を立てています。
頭の良さ。これにも二つあると思っていて。
一つは教育や読書、人生経験などにより、つまり自分自身の努力や成長次第でいくらでも向上していける部分と。
もう一つは能力の限界に伴う部分と。運動が一番わかりやすいと思いますが、勉学でも技術系でもジャンルを問わず、一度でも本気で努力したことのある人ならば体感的にわかってもらえると思います。
能力の一部には必ず頭打ちする天井があるってことを。そして同時に、ああここはまだまだ伸ばせるなってわかる部分も見えてくるってことを。
能力は青天井じゃないんです。必ず頭打ちする部分がある。
努力で伸ばせる部分はどんどん伸ばしていくべきで、そうすることで今まで理解不能だった人の能力が判明することは大いにあります。だからいくつになっても努力を怠らず、自分の能力の一部を高めていくのは有意義なことなんですけれども。
それでも私たち一人一人の能力には天井があります。
私たちにとって本当に必要な力とは、「誰が本当に頭が良いか」を見抜く力ではなく「私たちはいかに人の能力を見抜けてないか」を謙虚に自覚できる力。
無知の知という言葉があるとおり、己が無知であることを正しく知っていることもまた紛れもなく知の一つなのだと再認識させられる今日この頃なのでした。
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