2020/9/25-26(土)自意識の海が欲で汚染されていく(2)
昨日の続き。
私、Twitterでもnoteでも、時々あえて固有名詞を出すことがあります。そのほうが読み手に具体的なイメージを思い浮かべてもらえるだろうなという意図が第一にあります。放り込むだけでインパクトを放つスパイシーな固有名詞、使ってみるとけっこうあるよ。
と同時に特定の商品や人名を文章の中に組み入れることで、私の人となりに彩色しているつもりもあります。特定のものを好きだとか嫌いだとか、以前も書いたのですが、様々な好きと嫌いを利用して、匿名の私に色をつけさせてもらっているのですね。
でもそれってなんのことはない。とどのつまり、自意識の極み。捨てられない落書きを自分ひとりの内に葬り去ることができず、瓶に詰めつめネットの海に投棄してはその行方を眺めているだけ。
そんなふうに当の自分自身が一番持て余している自意識のいびつさを逆手にとって遊んでいたら、「私たち」を装ったプロ市民、じゃなかった、プロ素人たちが、このたわいもない遊び場になだれ込んできてました。
みんなおんなじつるつるのお面をつけて、同じようなことだけ言っている。匿名の私も、結局は同じように見えているかもしれない。
不条理アクセントのつもりで唐突に挿入しては遊んでいたあれやこれやが、どうせ全部ステルスマーケティングだろうと思われても仕方のない世の中。
あらゆる表現のすべてが欲の手段として疑われても仕方がない。長尺な青汁CM。
お金と影響力を手に入れたいという、何よりも明確でブレることのない目的を持った欲の強い人たちに汚染された海の中、ちっちゃな自意識だけでぷかぷか浮かんでる我々はただ、てんでばらばら、沖へ沖へと流されていくだけです。
安全な人たちだけにこっそり拾われ、この先も変わらず静かに過ごすほうが幸せなのがわかっているのに、我が身を危険にさらしてでも多くの人に認めてもらうこともまた、どこかで夢みたりしているのです。