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2022/9/16(金)ホンネとタテマエの国
日本はホンネとタテマエの国。
いったいいつのベストセラーの話だよって古さですけれど、少なくとも戦後の日本という国は「いかにタテマエを崇め奉りながら、ホンネのやりたいことを裏で実行するか」これに尽きていたんだと。
カルト宗教と政治の関係、五輪汚職、これはわかりやすい例。
日本という国のほんとうの構造がわかりやすく示されているだけ。
そもそも、ホンネとタテマエの二重構造をとらざるを得なかった最大の理由、民主主義というものの醜悪さにもほとほとあきれ果てていて。
岸田内閣の支持率がここへきて急落。なにもしてないどころか官僚さんの引いたレールを大人しく走るこの内閣があんな高支持率だったことがそもそもおかしかったのですけれど、急落した理由は「そのことに遅まきながら国民の多くもやっと気づいてくれたから」などという嬉しい話じゃないことは明らか。
国葬反対!我々の血税を何だと思ってるんだ!
しかもカルトや汚職とのかかわりが濃厚に疑われる元首相の国葬とは!
私の意見じゃないですからね。少なくともネットの風潮を見る限り、反対理由はこんなとこでしょうよ、という推測。
経済のことも外交のことも全然わかってない。
だけど「ズルしてる」とか「隠してる」とか「ひいきしてる」とか、そういうマイナスの行動にはアンテナが過敏に反応します。
加えて「自分たちのお金が他の人にまわってる」とか「自分たちは損してるのにあいつらだけ得してる」とか、まるで「そこにお金が回されなければ自分の手元にあるはず(と思い込んでいる)」のお金のことにもすごく敏感。
そこをくすぐる機会さえあれば簡単に支持率なんて急落するんです。今回もそう。
一方どれだけ経済政策や外交政策に問題があっても、わからないものは問題じゃないんだから支持率はいっさい下がらない。
これ、政治っていうの?
こんなしょーもないものに私らはずっと振り回されてるんです。戦後からずっと。
20歳以上の日本国民というだけで無条件に与えられた一票。政治に参加する権利。国民主権という耳障りのいい言葉。
民主主義は多数決です。一番数の多い層が勝ちます。
日本に限らず、全員を対象としたとき、一番数の多い層とはどこか。
かつ彼らを上回るために他の層をかき集めようとしたとき、どの層に働きかけるのが一番効果的か。
この制度下において勝利するとは、誠実さが報われるのでも正しさが誤りなく評価されるのでもありません。ただの兵隊集めゲームです。
兵隊の質など問われない、かき集めた数だけが勝敗を決める、そんなゲーム。
人々はその時々の感情から、でも感情だけで叩くのはさすがにみっともないからそれっぽい理由をテレビや新聞に入れ知恵してもらいつつ、嫌いな人たちを叩きます。叩いて叩いて、退散すればああスッキリ。
退散させた後のことはちっとも考えもせず。
そういう人たちの占める割合が一番多いのであれば、民主主義とはそういう人たちによって国政が左右される国だということです。
そしてその現実を前にして、日本がほんとうに進むべき道を考えられる頭脳の人たちは、自分たちが信じる正しい道をそれでも進むため、時には人として間違った判断をせざるを得なかったし、自分たちさえしっかりしていればコントロールしきれると勘違いしていたところもあるのでしょうが。
自分たちの頭を過信しすぎて、自分たちのほうが吞み込まれ、狂うという未来までは予測できなかったんでしょう。
今起きていることはそういうことだと私は見ています。
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ホンネとタテマエで生きているのは国民も同じで。
安倍晋三という一人の政治家が一方では異様に神格化され、また一方ではどうしてそこまでと怖くなるレベルで嫌われている。
しかももうお亡くなりになられているのに。
彼らは同時にわかっているんですよ。
この人は、どれほど死体に鞭打っても、それでも怒らない人だと。
強すぎる憎しみは、愛です。
ほんとうは愛したかったんだと思う。
日本に住む私たちにとって、生まれた時から自然にあった「愛すべき唯一の存在」、それがずっと奪われたまま、というか、愛しているんだけれど、心から愛していいのかどうか自信が持てないまま、敗戦後ここまできてしまったのかな、と思っています。
自然な愛し方がわかんなくなってるから、過度に愛してしまうか、その逆で極度に否定する関わり方しかできないか、そのどちらかしかできなくなってる人たちがそれぞれ生まれてしまったのかな、とか。
日本人には古来から天皇という存在がいて、明治以降は近代国家としての日本を率いる強く心強い対象であったでしょうし、それ以前の権力うすき時代とて京の都にお住まいになられるやんごとなきお方として、私たちにはいつだって崇拝すべき対象だったのだろうと理解しています。
それが敗戦によって天皇の立ち位置が変えられ、とはいえ陛下がお出ましになるといえば多くの国民がやんごとなき方として、一般人に取るのとは全く違った心構えと振る舞いをするのは変わらないのです。
だけど「敗戦国民」として、また「日本国憲法を掲げる新しい国民」として、なにかを不自然に頭でっかちに詰め込まれた人たちにとっては、天皇陛下という存在を、あがめるべきか、否定するべきか、そのどちらでもないのか、つまりどうおさめていいのかわからぬまま引き裂かれたままになっているのではないか。そんな気がしています。
私たちは、でも不思議なことに、日本人のDNAってやつなのか、皇室というものを私たちとは違うものだと本能的にわきまえているようで、皇室の方々に直接その矛先が向かうことってほとんどないように思います。
かといって向かう先のない矛先がしまわれるということはまずない。
ということは、その矛先が他に向かうという仮説も立てられるわけで。
安倍晋三という政治家はまさにうってつけのターゲットだったのかもしれません。
すべての矛先を一手に担ってしまった人。
どれほど過度に愛されても、どれほど不当にけなされても、決して拒絶しなかった稀有な人。すべて受け入れた人。
あるいは受け入れなくていいものまですべて受け入れてしまった人。
死してなお、安倍さんを生前同様叩いたとて、誰もなんの祟りも受けないでしょうね。それってね、死してもなおすべての痛みを受け入れてくれてるってことじゃないか。
それがわかっているから安心して今日もけなし続ける。甘え以外のなんなんだと。
私たち日本人はそろそろ
「国の象徴として、誇りとして、心から愛する対象を持ちたい」
そのホンネを素直に出していいような気がします。
だって君主なき共和政の国じゃないんですから。
自らの手で追い出したわけじゃない。今でもここは君主のいる国だしこれからもそうあってほしいと願っている人のほうがずっと多いと思うのに、よくわからないタテマエに牽制され、そんなことを思っちゃいけないかのようにどこかで自分を責め続けている。
自らの国の陛下を、そして私たち国民の代表として選ばれ働く行政府の長を、心から愛していると言っても笑われず、共に歩いていると実感できる日が来るのはいつでしょうか。
そのときようやく日本人のホンネとタテマエがふたたびやさしく重なりあうのだろうと思います。
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