2021/5/23-24(月)人に言われるのはいやなのよ
月曜日、幸先のいいスタートダッシュに今週もしくじっております。週明けに私を襲うこの眠気とだるさをなんとかしたいもの。自分でもああこれ気のゆるみだなあと思う一方。
「そんなの気のゆるみだよ」と人から言われたら反発すると思うんです、間違いなく。
自分で思っているのと、人が指摘するのとは、違うんですよね。無神経な人は「だって実際同じことでしょう」とバッサリやってしまうと思うのですが、違うんだよなあ。
自分の行動をコントロールしようとしてくる行為は、とりわけ気持ちの部分でどうこうしてこようという行為は、善意であれ悪意であれ、本質的に不快なものであるということをわかってないのです。
誰かの行動を変容させるのは工夫次第かもなあと思うこともあって、それこそ全くもって他人の行動を操作できないとなっては、これはこれで大変困ること。だから実際には人間関係あるところ、多少なりともお互いにお互いの行動をコントロールしあってるはずなんですね。
ただしそこには互いに踏み込んでいい領域の限界があり、その範囲内で命令したりされたりしてるわけで、その領域を超えたところについては他の人がどうこう口出ししてはいけないという不文律があるように思うのです。
他人の限界線がどこに引かれているのかわからない人というのが人間関係で嫌われつまづく人なんだろうなと思いますし、己の限界線がどこなのかを自覚できていない人は人間関係で傷つき利用されやすい人なのだろうなと思ったりします。
気がゆるんでるひきしめろみたいなそれこそ「気持ちのあり方」については間違いなく他人が安易に踏み込んではいけない領域なのでして、ただそう疑うのであれば「何が原因でそういう気持ちになっているのだろう」を推測して仮説を立て、対応を変えたり環境のほうをいじってくるのはありかなと思います。
変われと言われるのは不快だけれど、相手が変わってくれるのはうれしいものですから。