2021/4/18-19(月)「それじゃ何も言えなくなるよ」とため息をつく人たち
昨日の続き。
こういうことを書くと必ず出てきます。「それじゃあ私たちは何も言えなくなるね」と。
いや別に、そんなの気にせず今まで通り言えばいいんじゃないですか、と私は思います。言いたいことは言えばいい、お披露目すればいい。
そのスタンスがそのまま、あなたの人となりを教えてくれるというだけです。そういう人なんですねと。
誰からも100%肯定される「素晴らしい発言」なんてものはこの世にひとつも存在しないし、どんな発言をしたところで100%好かれる人になんかなれないということだけ踏まえていれば、それほど困ったことにはならないんじゃないかなと思っています。
それは読む側も同じ。100%寄り添ってくれる言葉など存在しません。
読む人のつらさもわかる、発言する人の喜びもわかる、そうやってお互いが普段からお互いの存在を認め、互いの思いを尊重できているかどうか、それだけの話なんだと思ってます。
そう考えるとこの問題、突き詰めると最終的には「私の発言を認めない人のほうがおかしい」派と「私が不快になることを発言する人は認めない」派だけが残るということになりそうです。
前者は「私の喜び」や「私のユーモア」を理解できない相手がいてはいけないという発想だし、後者は「私の悲しみ」や「私の事情」を考慮しない相手がいてはいけないという発想。
あれ、同じじゃない?
「好きに発言して何が悪い」派と「不快な表現はするな」派とは、そういう意味では根っこが同じなのでしょう。自分を受け入れないものは認めない、一切いてはならない、という排斥主義者であるという点で両派とも一致しているので、だからこそ争いが絶えないのだということが見えてきます。
争いは同レベルの者同士でしか発生しないというのは本当なんだなと。
この手の不毛な争いから感情的に距離をとるための一助となれば。