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2022/8/5(金)国民を3つにわけてみたら


 本日は備忘録。政治というか世の中というか、様々な議論を見ていてもずっとずっと腑に落ちなかったことがこれなら腑に落ちるかもと思ったことを。

 世の中、当たり前だけど全員がフラットにできてない。
 それは別に日本特有のことではなく、むしろ日本は相対的にフラットなほうだと常々感じているくらいです。ただなんだろね、憲法で言うところの「国民主権」みたいな、みんながみんな平等に主権者だよ、というきれいごとが年々うさんくさくてたまらなくなってしまいましてね。

 ほら、数年前から一部の人たちが使い始めた言葉があります。
 上級国民。
 上級国民とそれ以外ではどうやら「何か」が明確に違うらしいと。この時はある種のえこひいき、優遇措置みたいなものが槍玉に上がってた気がしますが、それ以外の面でも、一部の国民とそれ以外では、どうも生きてる世界そのものが違うみたいだぞ、ということに我々は気づき始めます。

 さすがにいくらなんでも自分たちのことを下級国民とは言いたくないので私は庶民と言い換えますが、庶民と上級国民、この対比で社会を捉えなおすと、あらふしぎ。
 庶民ばかりが上級国民のような強く気高い立ち位置を強要され、かと思うと上級国民さん、あれれ都合が悪くなるとすぐ庶民然とした弱いふりをしているねえと。
 なるほど、あべこべ現象が起きてるんだと。

 国民は一律に平等ではなく、まずは少数の上級国民とそれ以外の庶民との二つに大きく分けることができるようだと。
 しかもここ日本においては、なぜか庶民が上級国民の負うべき責任を背負わされ、一方上級国民は何かあればすぐ責任転嫁と話題そらしという逆転現象。

 つまり本音を言えばね、上級国民が常日頃から人格的な鍛錬を怠らず、世界に引けをとらない高い教養とその教養に裏打ちされた人類愛をちゃんと持っていてくれてたら、なんだよそれで済む話じゃないか、と私なんぞは思ってまして。
 はっきり言ってしまえば私たちのほとんどがそれ相当の高度な教育までは受けていないし、身の回りのことで毎日精いっぱいの庶民に知識のアップデートなど無理、ましてや政治経済などわかるわけがないんだって。
 庶民は庶民の暮らしだけに、つまり家族と仲間との今と未来を大切にする暮らしだけに集中させてくれないかな、と。

 でも庶民の中には「いやいややはり自分たちの国だぞ、自分たちが責任を持たなければならない、ゆえに積極的に政治に参加すべし」という使命感に燃える人たちも少なからずいます、というか憲法上そっちがどう考えても正解ではあるんですが。

 ああそうか、そこでもうひと分類出てくるんだ。
 「兵隊」というカテゴリーです。

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 上級国民と庶民と、そして兵隊。
 兵隊は庶民の中からしか出てきません。上級からの偽装兵はいるかもしれませんが、基本、兵隊にされるのは庶民だけです。

 うん、「なる」んじゃないんだ、「される」んだ。
 もともと本来の仕事じゃないものを、あの手この手で自分の仕事だと錯覚させられ、しゃにむに使役させられるんです。
 「やらされてる」という自覚を持ち、これは生活のためだからとわりきっている兵隊さんもいるでしょう。
 問題は完全に「自分の自由意思で」やってると洗脳されきっている兵隊さんたち。
 そしてその数は決して少なくないんだ、どうやら。

 すみません、メモのつもりが結局長くなりました。
 つまり何が今日書きたかったかというと、民主主義って、少なくとも日本における民主主義って、全然国民主権じゃないという感覚はずっとあったのですが、この「兵隊」というカテゴリーを思いつくことでようやく腑に落ちたんで、よかったら聞いてくださいというまあ戯言です。

 今の日本で行われている民主主義とは、
「やりたいことのある上級国民が、その理想を実現させるため、いかにたくさんの兵隊を庶民の中からかき集められるか」
 にすぎないと。

 なるほどね、日本の政治は上級国民と兵隊たちによって動かされているのか。
 それに庶民があらがおうとするならば結局はどこかの兵隊になるしかないってことか。それって国民主権なんですかね。

 こういうときはいつも私、どうしても『いなばの白うさぎ』に出てくるたくさんのワニ(サメ?)さんたちを思い浮かべずにはいられないのです。

 It's NOT OUR BUSINESS, it's YOUR business.


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たまやまめふく
武者修行中です。皆様に面白く読んでいただけるような読み物をめざしてがんばります。