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2021/7/22-23(金祝)舞の海の相撲が残してしまったもの


相撲の話を引き続き。

さかのぼること数十年前舞の海という画期的な小兵力士が登場しました。素人目線ですが、舞の海以前と舞の海以降で相撲のあり方が変わったと私は見ています。

いまや白鵬を批判するたびフルボッコの秀平氏、だけど舞の海と白鵬はある一点においてとても似ていると私は思っています。

舞の海は小兵といういかんともしがたいハンデを高い技能と即座の機転、相手力士の研究、そして立ち合いの心理戦で乗り越えました。これは当時、実に画期的なことでした。小さくても勝てる、力で劣っていても勝てる。この事実がどれほど小兵力士たちに勇気と将来への希望を与えたでしょうか。

ところが舞の海さんも全く意図しなかったでしょうし当時の誰もこうなるとは思わなかったと思います。

舞の海の相撲に憧れ継承していったのが、むしろ図体のでかい力士たちだったとは。

もうみんなお忘れだと思いますがその代表格が若ノ鵬というロシア出身の力士。十二分に恵まれた体格から繰り出される舞の海的変則立ち合い。

本来そんなものを必要としない恵体の力士が「面白く」「派手に」「楽して」勝つための、体のいい言い訳として舞の海の相撲が使われてしまった。私はそう捉えました。

今の白鵬もまた舞の海チルドレンの一人に思えますし、彼の相撲が後続力士に与えるであろう影響力も同様ではないかと危惧しています。

全盛期をもはや過ぎ、満身創痍の体でも勝ち続けるために編み出されたここ数年来の白鵬の相撲。それはそれで達人の域に達する芸事の完成度であり、技の引き出しの豊富さ、ここぞという機転の良さと運動能力との連動の見事さは、さすがに誰もが認めるところだと思います。

だけど白鵬の相撲に憧れた幾多の凡人がその後真似るものは。

全盛期を作り上げた地味で過酷な稽古の部分をすっ飛ばし、立ち合いの駆け引きだけ、自分優位になるためのなりふり構わぬ先手必勝の姿勢だけを真似たがるのではないだろうか、と。


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たまやまめふく
武者修行中です。皆様に面白く読んでいただけるような読み物をめざしてがんばります。