2021/3/19-20(土祝)「見て見て」と「聞いてほしい」の違い
うわ、昨日と今日のnote、順番間違えた。えっとほんとはこっちが先です。今日のが水曜日の続き。昨日のは今日の続きになります。ややこしいな。
少なくともここ数年の私は「聞いてもらいたい」んだけれど「見てほしい」わけじゃないんだよなあと。思えば小さい頃から「見て見て」するのが得意なほうではなかったし好きでもなかった気がします。
人前に出るのは全く苦じゃないしむしろ人前でのパフォーマンスはどちらかというと好きなほうなんですけれども(うまいわけではない)、自分からわざわざ「見て見て~」と働きかけるのはかなり苦手というかなんというか。
私に向いてない目をわざわざ向けさせてまで伝えるべきものを持ち合わせていないということも大きいのかなと思います。
だけど私に少しでも興味のある人がいるなら、持ち合わせているものをお披露目するのはとても楽しい。その持ち合わせが相手が持ち合わせているものとの相互作用によってぐんぐん広がっていくとしたらさらに楽しい。そんな感じです。
インターネットは、というよりお金儲けの絡む場というものはどうしても「見て見て」の競い合いになってしまいますから、ああ私にはこれは無理だなあと参戦前から戦意喪失です。そこまでしてかき集めた人たちにわざわざ見せられるものなんてないんだもん。ましてや自分の一言で大勢の人が影響されることもある、とか考えると怖いよむしろ。責任取れないよ。
「見て見て」するのも「聞いてもらう」のも結局は同じことで、気を引くための宣伝や工夫があるかないかの違いだけなのかなあとも思う一方。
「聞いてもらう」だけならば自分自身に対してのみ誠実であればいい気がするけれど、「見て見て」の場合は相手の期待に対し何らかの形で必ず沿わなければならないし、そのためには時に炎上もいとわぬほどの極論や大袈裟、下手をすると嘘すら組み入れなければならない時もあるかもしれない、そのプレッシャーが私には苦痛なのかもしれません。
つまりこれからも聞いてもらえる人であり続けるには、まず己への誠実さを心がけねば。