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2021/8/29-30(月)意味ある努力のためにラクを探す


昨日の補足。

こういう話をすると必ず「そうそうもっとラクしよう」とか「そっか単調で地味なことを我慢してやり続けなくてもいいんだよね」とミスリードする人が出てくるんですけれども。違うよ。

同じところを堂々めぐりしてらちがあかないだけの「努力」を重ねることの無意味さとか、それこそ、あ、これ獣道だわと心のどこかでちゃんと感づいているのに、ここまで来ちゃったらもう今更引き返せない最後まで行ってみたらワンチャンなんとかなるかもしれないみたいに頭が完全にバグっちゃって遭難まっしぐらになる悲劇とか、そういうのは避けたいな、という話なのですね。

近道を見つけるという名目を掲げることで「人生の些末事から逃げまくること」「今目の前にある課題をこなすことから逃げること」はダメだと思うし、ましてや偽りの近道を誰かから教えられては鵜呑みにし、自分以外の人を下に見てバカにするのが習慣になってしまったらちょっと取り返しがつきにくそう。

でも一方で「だってこれまでも皆こうしてきたから」とか「やらないよりやったほうがえらいに決まってる」とか、いわば精神論みたいなものだったり、努力自体が自己目的化しているような行いで、言い方は悪いけれど時間を潰しているだけみたいになっているのは、うーん、どうなんだろ、とは思うのです。

一昨日の話に戻れば、それこそ体の動かし方も知らないまま前屈だの開脚だのをいくら練習しても筋が損傷するんじゃないかという痛みしか得られず、次の日には筋肉痛とともに元通りというのを繰り返してきたけれど、どこをどう動かすかとか本当に固まってる箇所を特定してほぐすかとかしていったら、痛みもほぼなく簡単にこれらの動きができてしまったんですよね。

だけど「正しい体の使い方」を体に教え込んで持続する努力とメンテはこの先も必要なのだから、適切で意味のある努力を積み重ねるためラクを追求する、という感じなのだと思います。


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たまやまめふく
武者修行中です。皆様に面白く読んでいただけるような読み物をめざしてがんばります。