2021/5/28-29(土)対等とは相手からも同等に傷つけられる関係のこと
昨日のnoteを受けつつ。
不倫とか、差別の問題とか、そういうものが生じる背景には、力の不均衡ってやつが必ずあると思うんですよね。本人たちは無自覚かもしれないけれど、何をしても相手は抵抗してこないとか逆らえる状態にないとか、ちゃんと正しく見積もれている(!)からこそ、安心して(!!)ひどい行いができるのだろうなと、様々な社会現象を見ていると思います。
一方で私たち、家族やら友達やら夫婦やらやってるとつくづく思いますけれど、これはこれで小さく小さく、傷つけあってるとこあるなあ、と。
傷つけたくなんてなくても自分の意見や気持ちを優先すれば目の前の相手にnoを表現しなければならないし、相手の特徴をいじったり言動にツッコミを入れたりすることもある。でもそれはお互いさま。私も相手からのそれをなんのことなく受け入れていますし、なんなら積極的に楽しんでいるときもあります。
私たちはもしかすると、軽い傷のつけ合いもまた、親密なコミュニケーションの一つとしてカウントしているのかなと思います。
ただし大事なことが一つ。お互いに、ということ。
許容範囲を超えた傷をつけられたら当然怒りますし、やりすぎて怒られたらちゃんと謝ります。言っていいことと悪いこと。限界より全然手前での力加減。
こういうが対等な関係なのかなと。
一方的に言いたい放題やりたい放題しておいて「こんなことで傷つくほうがおかしい」というのは力の不均衡だと思います。
また「一切私を傷つけるな」というのも力の不均衡です。これおそらく「こんなことで傷つくほうがおかしい」とセット。
相手を一切傷つけないようにふるまうには自分を抑えなければならないのに、人にはそれを強いて平気だというのなら「傷つくのはいつでも私だけ。他の人が傷つくわけないでしょう」ということになりますから。
やった分はやりかえされる関係かどうか。大事なのはそこだと思います。