2021/10/23-24(日)人生をデザインしすぎる不幸
もし一人一人の人生が、生まれ落ちた親と土地、経済環境や人間関係にすべて固定されてしまいその枠の中でしか生きていくことが許されないとしたら、暴力的で抑圧的、人を人と思わない環境に産み落とされてしまった人たちは一生を惨めさと苦痛の中だけで終わらせることになってしまいます。
私たちの多くが、そんな人生を見知らぬ誰かが生きているかもしれないと想像するだけで胸が苦しくなるはず。そんな人生を誰一人たりとも送らせてはいけない。先進国の国民であれば共通認識ではないのかなと思います。
だから心ある人たちは必死で考えてくれました。具体的な努力もしました。誰もが人生を好きに選べるように。デザインできるように。
先人たちの理想と優しさは実を結び、少なくとも先進国と呼ばれる国々では一人一人が自分自身の人生をデザインできるという夢はほぼ叶いました。それぞれの国自体も潤い、活気に満ち溢れ、一人一人の自由を保証するこそが国全体としての成長を促進することを証明してくれました。
そして今、私たちは自分たちの人生を理想的にデザインしすぎてしまうという不幸に見舞われているのかもしれません。
だいたい人生のデザインをいくら自由にできるといっても生まれ持った才能や性別、やむにやまれぬ事情などで実際には様々な制約があるのが現実だったのに、それらの制約すら技術の革新や余剰の財力によって一つ一つなくなり、あれもこれも実現可能になってしまい。
いつしか私たちは「諦める」というポイントのありかを見失ってしまいました。
今後もさらに私たちの人生を制約するものたちが、一つ、また一つとなくなっていくことでしょう。そうなると「諦める」ことは「努力の放棄」とみなされることになり、今までは仕方のないこととされてきたものが全部、努力を選択しなかった一人一人の責任とみなされていく。
私たちは今、この息苦しさと直面しているのかなと思います。