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2023/4/7(金)すべて「表」だ


 ついにスマホを買いました。
 理由はただひとつ。さすがに必要になってきたから。
 タブレットを家のwifiにつなぎ必要なものは家でダウンロード、外出時にはオフライン、必要に応じて外出先のフリーwifiを使用、というパターンがそろそろ通用しなくなってきたもので。
 早い話が電話回線持ってないと各種セキュリティ認証に難が出てくるようになってきたのです。あーあもう。悪いやつらのせいだよ。

 まあ私のガラホバッテリーもへたってきてたしここらが潮時だったのでしょう。今までありがとう。お疲れさま。

 というわけでこの春から晴れて私もスマホさん。
 調子こいてあれこれPayで支払いしたけど2日で飽きました。
 お財布にしまえるプリペイドカードって便利だな。

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 というわけでスマホを初めて手にした私、最初の数日は設定設定また設定の日々を過ごしました。もともとタブレット使ってたのでそのあたりは比較的混乱なくできたのですが、なにが参ったかって。

 許可多すぎ。

 ○○へのアクセスを許可しますか。

 んーわかんないけどいいんじゃないすかと、ぽちぽち進めていくのですけれど、時々「これは別に許可しなくてもいいんじゃね」ってのがあり、許可しないのほうで進めていったところ。

 アプリ設定できずに終了しちゃったぞ。どういうことだ。

 だったら初めから「許可しますか?って一応聞いてるけどこれ実質強制だからちゃんと許可してね」って言ってくださいよわかんないよそこまで。

 てかスマホ設定、この手の「ほんとは強制だけど一応形としての了承得てる」パターン多すぎ。
 つまり何も考えず言われるままに全部許可してどうぞ、ということだったのですね(一部例外もあるっちゃあるけどね)。

 というより、こんなの一つ一ついちいち考えて設定できないですよ。同意文書ちゃんと読んで同意しろみたいなのもあるけど、あれ全部読んでる人います? ごめん私は読んでない。
 私含めほとんどの人にとって、あれ、実質は白紙委任状じゃないですか?
 時間もないししんどいから性善説で次々機械的にこなしていくけど、性悪説が現実なら、やばいよなあこれじゃ。

 一連の作業を経て、あらかた必要な設定とアプリ導入を終え、私が思ったこと。

 ああこれって要するに、私の情報ぜんぶ、どっかにほぼ筒抜けでしょうなあ。

 さすがに中国にではないと思うけども、アメリカの民間企業さんにはがっつり抜かれてるわ間違いなく。

 ビッグデータ分析以外で何かしてやろうという意図がお相手側に今はないだろう、というだけでさ。

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 ある時期からインターネットは「裏」ではなくなったと感じます。
 言葉を発するのですから表も裏も最初からないですよ、と言われてしまえばそれまでですが、いちユーザーの感覚としてはやっぱりここは「裏」でしたよ。

 陰でこそこそ特定人物を誹謗中傷ということではなく、表では言いづらい本音を共有し合える場として、つまり表の世界で自他ともに安全に生きるためには必ずまとわなければならない社会的建前から自由な形、今風にいうならメタバース的な場として、インターネットというのはとても大切な裏の場所であり、そして社会常識をいったん脇に置いての自由な思考実験の空間であったと思います。

 ところが徐々に裏の世界でも「表」と同じ常識やヒエラルキーを持ち込みたいと思う人たちが出てくるわけで。裏の世界で存在感を得、発言力が増してくるとやはり「この私が話しているのよ」と自己を特別扱いしてもらいたくなってくるのでしょうね。
 しまいには表の世界でしっかり居場所を得ている人たちまでもが積極的に参戦してきて表の世界での力関係をそのまま持ち込んでくる。
 どんどんネットがおかしくなっていく。
 インターネットが表の世界とだんだん変わらなくなっていきました。

 人を不快にすることは書いてはだめよ。
 何物でもない人がしゃべることなど一切の価値などありません。
 大衆にウケのいい、バズるようなことだけを書きなさい。
 あっこの人えらそうなこと言ってるけどフォロワー少ないねプッ。

 そりゃね、本音だとしても書いていいことと悪いことがあるよ。
 特定の人の名誉を傷つけたり根も葉もないことを書くなんて、もちろん仮に本当のことだとしてもアウティングするなんて、裏の世界でも絶対だめだよ。
 だけどね、こういう場しか書けないこと、吐き出せないこと、議論できないことはやはりたくさんあります。
 個人を特定されないこと。いやもちろんまったくの匿名というのはありえないのだけれど、一応は身の安全が守られているという前提のもとで発言ができるというのはとんでもなく画期的なことだったのですよね。

 そしてそれは、普段は物言わぬ私たち日本人の本音を正しく垣間見ることができる場として、政治家さんたちや企業の皆様にとっても、実はとんでもなく貴重な場だったのではないですか?

 言論の自由というのはつまり後者の人たちのためにある言葉で、本来私たちの手元にはないものだと私は思っています。
 私たちを自由に泳がすことで貴重な本音が手に入る。
 私たちの生まれながらの権利として自由が与えられているのではなく、施政者にとってそのほうが都合がいいから自由をある程度まで許している。
 その解釈が正しいかどうかはさておき、そう思っておいたほうが安全だと私は思っています。

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 で、ですよ。
 スマホを実際に手にするまで、ここまで個人情報あれこれアプリ間で共有しあうもんなのかとびっくりしましたよ。まあそうですよね、そうじゃないと不便だもの、スマホがスマホである利点が失われるものね。
 スマホは常にインターネットとつながっています。何を見、何を聞き、何を調べたか、ぜんぶ、ぜんぶ、ストレージされています。
 「だれもそれを今はやらない」だけで、その気になればいくらでも個人特定の上、情報を一般公開だってできるでしょうね。監視だってできる。やっちゃいけないってだけで。

 つまり、インターネットという大きな田舎の中に私たちはもう組み込まれているのだろうと。そしてこの田舎から私たちが逃げ出すことは今の文明的で社会的な生活を捨てない限りもう無理です。
 逃げ出す先の都会は、やり直しできる先の場所は、もうないのです。

 インターネットは「表」になりました。
 私たちが自らそうしてしまったのです。
 そして技術も追いついた。というよりも追い越した。

 つくづく田舎を毛嫌いしているはずが、
 本心ではみなさま、実に田舎的なものがお好きだったということです。

 どこまでも無限に広がる田舎の果て。
 さて私たちはどうやって安全に生きていきましょうか。

 積もりに積もる本音を安全に語れる場所を探し求め、結局はまたアナログな居酒屋的閉鎖空間へと私たちは回帰していくのかもしれません。

 その頃には盗撮盗聴は国家の常識(え?これは盗撮でも盗聴でもなく防犯活動の一環ですよ。だって後ろめたいことのない人にはぜんぜん関係ないことでしょ?)、なーんてことになっているかもしれませんけどね。



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たまやまめふく
武者修行中です。皆様に面白く読んでいただけるような読み物をめざしてがんばります。