2021/10/28-29(金)コロナ禍は強制的に私たちに「あきらめ」を与えた
昨日の続き。
コロナ禍。物事には悪い面と良い面の両方が必ず備わっていて、この原則はコロナ禍ですら例外ではないと思っています。また一見悪く見えることが実は良いことだったなんてのもよくある話で、その逆のパターンもあるでしょう。人生万事塞翁が馬、故事ってほんとためになる。
コロナ禍、結果的に一時的で済んだとはいえ、私たちはいろんなものを強制的にあきらめさせられました。旅行、外食、各種の鑑賞・観戦、人によっては仕事、学び。
コロナ禍とはこの日本に生まれただけで天から降ってくるかのように自動的に与えられてきた様々な当たり前たちが全然当たり前じゃないどころか、とんでもなく贅沢で特別な恩恵だったという気づきを与えてくれた強烈なビンタであり、当たり前でないものを当たり前にしてくれていた制度や人々の陰ながらの労力といったものを再発見させてくれたという点で貴重な学びもあったと思います。
だけどその一方でやはり出てきていた「あきらめない」の声たち。「コロナに負けない」「こんなことであきらめない」。
もちろん冷静に状況を分析した上で「これはあきらめる必要なし」「安全にできるんだから、やる」というドライな判断は必要だし当然だと思うのですが、もはや絶対的な正義と化した「あきらめない教」の人たちが同じくこの人たちが好んで用いる「かわいそう」の旗を掲げ様々なことを強行しようと頑張るのはなんか違うんじゃないのと思って見ていました。
私たちは「できない」ことによって守られていた部分も大いにあって、できることの中からやれることを最大限にやるという原点に立ち戻る、進みすぎた道を引き返す、これはもしかしたら最後のチャンスだったのかもしれず。
こうして私たちは再び、私たちの人生に様々な「あきらめ」を許す貴重なきっかけを逃してしまったのかもしれません。