生活の気配の満ちる
洞爺湖の古民家、「たまほーむ」に涙のさよならをしてから一ヶ月が経った。
月に数回洞爺湖に帰るたび、様子を見たり残置物を取りに行ったりして都度たまほーむに足を運んだ。
がらんどうとして猫がいない、元わが家の寂しさったらない。視界のどこかに猫の気配を感じて錯覚してしまう自分がいた。
おじいちゃんが出て行って空き家になって、2年ぶりにたまほーむに生活の気配が満ちる様子を、住み始めた当初はつぶさに観察していた。干された洗濯物、ストックされたトイレットペーパー、出しそびれた可燃ゴミの袋。生活の気配とは、明日もここに住み続けることが無言のうちに約束された風景。
その一切が消えた元わが家。思い出すものも多すぎて、近づくこと自体、苦いくらいになってしまった。洞爺湖の家に帰るまでの田舎道すら、少し暗く感じられるほどに。
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