魅力くらい自分で決めろ

魅力くらい勝手に自分で食えや。

悦セイストのふらぺちいのです。
朝イチで二郎を食べることに慣れてしまった。
とりあえず都内の二郎は全部行ってみたい。


自分の魅力くらい、自分で決めろ。

価値観が人の数だけ存在する現代で、万人受けなんて言葉は幻になった。
私は、目の前の人の価値観に合わせることに必死だ。
怒らせないため、その場を穏便に済ませるため
目の前で暴れてもらわなければそれでいい。
私が知らない所で悪く言われても、どうしようもできないから。
まあ後で知るとそれはそれで傷つくけれども。


魅力も人によって違う。
カラオケに行って私の歌が魅力的な場とそうでない場がある。
魅力的でな場は最高に楽しいし勝手にアーティストになった気分だ。
そうでない場でのカラオケは「次何を歌えばいいんだ?」「この曲はどう盛り上がればいいの?」と考え続けて息つく暇もなくて苦しい。


私は魅力がないと悩むことが多い。
理由はシンプル。彼女がいないこと。童貞であること。おもしろいことを意図したタイミングで言えないこと。挙げればキリがない。
これを友人や知り合いに言っても、お互いにどうしようもない。
「魅力がないなんて、そんなことないよ」と言ってくれる友人知り合いはいるだろう。「こういうことを言ってほしいんだろどうせ」みたいに思ってるんだろうなと考えてしまう。
逆に正直に「お前には魅力がない」と言われても、やんのかてめえとなってしまう。めんどくせえな。


このご時世、価値観が様々になったことで、彼女がいることや童貞でないことを魅力だとする考えに疑問を持つ人がいるのをTwitterで見かける。彼女なんていなくていいさ。童貞だっていいさ。私は未だに、彼女がいたほうが良いに決まってるし、童貞じゃないほうが良いに決まってると思っている。けれどそのために努力するわけでもない。
ともだちに私の魅力はなんだろうか聞く。ただこれがあまりにも受け身で幼稚で他人本位で気持ちが悪い。与えてもらうのがあたりまえの子どものようで。しかも魅力なのかどうかなんて人によって違うんだからもう自分で勝手に決めちゃえばいいんだ。


私はおもしろいし気配りができるし顔がかっこいいし趣味が多いし魅力的だよ。そうそう。私は魅力的なんだ。自分自身がそう言ってるんだから間違いないよ。もしあなたが私と会って、魅力的だと思わないなら。まああなたの価値観にはそぐわないってことよね。それだったら私の前からゆっくりフェードアウトするのが良いのかしら。


だから相手の価値観ごときに一喜一憂すんな。魅力かどうかなんて自分が正常にジャッジできればいい。まあ正常にできればのはなしですが。

私は目の前の人の価値観にいちいち左右されていた。長いものに巻かれて、とりあえず目の前にいる偉い人には逆らわない様にしようと。


誰かを擁護できる人はすごい。全然媚びてない行動だから。そんなことできない。責任感に耐えられない。

ストレスフリーを目指すなら、責任を与えなければよい。極論すぎる。私は魅力をたーくさん抱えて明日も健気に朝起きる。



#悦セイスト  



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ふらぺちいの
シュークリーム(128円)とピザまん(130円)を買いたいです。恵んでください。