「丹生明里」は「丹生明里」でしか説明できない
悦セイストのふらぺちいのです。
日向坂46の新曲『ドレミソラシド』がYoutubeで公開された。
ドレミと歌いながらくねくねする様は本当にかわいい。プールでキラキラと踊るメンバー。観ている瞬間は顔がにやけて膝が動く。あまり一目がつくところで観ちゃいかんな。不審者扱いされちゃう。
今回の曲で丹生ちゃんがフロントに立つことになる。HINABONGOで「グループのハッピーオーラの象徴」と紹介される丹生ちゃん。メンバーの齊藤京子は「なぜ人間は丹生ちゃんの心を忘れていくのだろう」と評するほど純な心を持つ丹生ちゃん。
私はセンターに立つメンバーを好きになれない。彼女たちは「センターに立つメンバー」と振り分けてしまう。AKBの前田敦子から始まり、日向なら小坂菜緒に至るまで、彼女たちは八方美人的な対応を求められて全方位に向けて発信しているように見えてしまう。彼女たちは、「センターに立つメンバー」「かわいくてファンが多い人」に見える。要は替えが利かない存在ではないということだ。
それに対して丹生ちゃんは、端的に言えば替えが利くメンバーではない。丹生ちゃんは「丹生明里」でしかくくることができない。
感覚としては、丹生ちゃんには顔がある。センターに立つメンバーは、のっぺらぼうに「センタータイプ」と書いてあるイメージ。
メンバーの顔がある、無いの判断は完全に主観だ。愛想が良く、品があって、対応が丁寧なメンバーは、どうしてものっぺらぼうに思える。
そんなのっぺらぼうに顔を浮かび上がらせるのが「人柄」といわれるようなえぐみだと思う。嫌いな人は嫌いなもの。しかし好きな人に深く突き刺さってしまうえぐみ。
そのえぐみがなんともいえない心地よさがある。のっぺらぼうよりも人の心の奥まで入り込み、親しみやすさや不快感を置いて帰る。丹生ちゃんは人の心を親しみやすさで埋め尽くして帰っていく。
「丹生明里」は「丹生明里」でしかない。「ハッピーオーラの象徴」や「新垣結衣に憧れる女の子」とくくることもできるが、齊藤京子がいう「丹生ちゃんの心」が、「丹生明里」たらしめるんだろうな。
そう思いながら、ドレミドレミ歌いながら体をくねらせる。人前ではできない。家で一人こっそりやる。
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