聖者ぶるのどうにかしたい
悦セイストのふらぺちいのです。
スマホを、充電コードに差しっぱなしのまま家を出た。
スマホが無いのは不便だ。電車内で困った。
こういう時に限って本とか持ってきていない。
眠くもないし、退屈な電車内だった。
長所で優しいところを取り上げられる人は、特に良いところが見つからない人らしい。別に嫌な人でもないから、お世辞で「優しい」と言ってるだけらしい。優しいというか「無害」というか。
私も、誰かにとっての無害を心がけて生きている。当たり障りのない、まじめで潔白な人間。そうなるように心がけている。
誰かにとやかく言われたり、疎まれることをめんどくさいと思った結果、無害であろうと心がけてしまう。その人に慣れればいいのだけども。
私は誰かにとって無害である状態を「聖者ぶる」と表したい。言動が当たり障りなくて、いかにも正論ぽいことだけ言う。
たとえば、めんどくさい作業も「仕方ないよね。がんばろう」と言いながら嫌な顔一つせずにやる。聖者ぶってるなー。めんどくせえんだからやりたかねえよな。でもそんな乱暴な言葉遣いをしたら、相手に嫌われるかもしれないから、精一杯聖者ぶる。
浮気がトークテーマになっても「浮気なんて絶対にダメだ。僕は絶対にしないよ」なんて言う。聖者ぶってるなー。浮気するほどの度胸ねえだろ。そもそも浮気する前に彼女できねえだろ。浮気できないチキンが好きで好きで関係性を壊したくないと思う女に告白するなんてリスキーなことができるわけねえだろ。お前が浮気語るな。
とにかくチキンで、めんどくさがりやで、人との会話に頭を使いたくないがために、聖者ぶるのが一番楽ちんだから。
そうなると、心の奥底から共鳴できる異性なんぞ見つかるはずもなく、うわべだけの気持ち悪い関係がずーっと続く。
でも、相手に嫌がられたり、排斥されそうになるよりはマシなのだ。こうしてつまることのない人生がつづく。無駄に生きてるなといった印象。
だから一人の時間が、心を許せる友人と過ごす時間がすこぶる楽しい。一人なんて最高だ。許されるものならば、部屋に閉じこもり、永遠にゲームや動画視聴に明け暮れ、たまに外に出てカフェに入ってゆったり、スーパーで食材を買って家でクッキング。最高かよ。悦だ悦。
心を許せる友人とバカみたいな言動で笑い合う。これ以上に楽しい時間があるだろうか。私は知らない。
心を許すのは勇気がいる行動。チキンな私にはハードルが幾分か高い。許しちゃえばいいのだけども、許したことによって痛い目に合うのが嫌で嫌で許せない。だったら心を許さないで、一人で家でプロスピをやったほうがマシだ。
ただ大人から言われるのは、一人では生きていけなくなるということ。今は若くて体力があって、多少親にも助けてもらえるから生きながらえてるもんだけど、大人になって、いずれ親もいなくなって、体力もなくなると、どうしても一人の力で生きてはいけなくなる。
現に今も一人では生きていない。一人で家にこもって星野源のライブ映像を観れば1日が無事に過ぎていくなんてのは今のうちだ。
だからいづれは誰かに心を許して、めっちゃ勇気がいるけど。誰かを大切に想うしかない。でもそれってすんごい面倒だ。
どうせどうせって思うから。決めつけるから。思い込むから。それが楽ちんだから。
決めつけるのやめるの、むっちゃ疲れるけど。今も疲れてないわけじゃない。
決めつけて疲れるなら、決めつけないで疲れるほうがマシか。
とりあえず聖者ぶるのやめたいんだけど。誰か背中を押してくれないかな。
他力本願は、とても楽ちんだ。
#悦セイスト