くだらないが悦
悦セイストのふらぺちいのです。ポーカーむっちゃ面白い。お金をかけたら終わりだなと思った。お金をむちゃくちゃかけて、ロイヤルストレートフラッシュなんか出した日には、死んでもいいくらいの快感を得るなと思った。まだ死にたくないから手を出したくないな。
頑張りたくないんだ。
モテるためには頑張らなければいけないと思っている。頑張るという感覚は、ネガティブな意味がある。無理をしなきゃいけないだとか、不本意だけどやるとか。頑張らないといけないのら、めんどくさいな。
仮に今後付き合って、結婚してみたいなルートを辿るのであれば、無理して繕った姿をやり続けるのは、健康的じゃない。体壊しそう。
だから私は、頑張りたくない。くだらないボケを連発して、どうしようもないねって呆れられたい。楽しそうだねって、それでもいいよって微笑みかけてほしい。
オヤジギャグを言う大人を見下していた。質が低いと思っていた。笑点で言うなら木久扇師匠。もっと高尚でハイセンスなお笑いが上だと思っていた。
でも高尚でハイセンスだなんて、そんな堅苦しいものが、腹の底から笑えるのだろうか。やっぱりザコシショウが叫んでるのが面白いし、春日さんが「アパ―!」って言うだけで面白い。「ミキティー」って叫んでいるだけで面白い。そういう理屈無しに面白いものがやりたい。
ただ服を脱いで叫べばいいというわけではない。裸になって「布団が吹っ飛んだ」と叫んでもきっと違う。
思いつきでボケてみましたみたいな一見くだらないボケを吐いて生きていきたい。そんなことができたら幸せだな。今のうちに努力せねばな。何を努力すればいいんだろう。とりあえず笑点みるか。
思いつきでもいい。そんなありのままだとか自然体という言葉で語られる姿勢が認められたら、とても悦だ。俺のくだらないを、誰か人生をかけて見届けてくれないか。見返りは、くだらない人生。
#悦セイスト #悦セイ