英語子育ての終わり、そして始まりMostly Sunny, with Some English !?
英語子育ての先に見えたもの
2020年11月25日-水曜日 快晴。
娘がミネルバ大学に合格した
そうして、私の英語子育ては幕を閉じた。
…思えば長くて短い18年間でした。これから私が迎えるのは人生の下り坂で、子離れ、夫婦二人の生活、親の介護、老後。あんなに(大変だぁ、一人でゆっくりする時間が欲しい)と思って毎日を送っていたのに、終わってみると実にあっけなく、心の中には風が吹いています。そして振り返って今考えることは、一生懸命頑張った「英語子育て」って一体何だったのだろう…?ということ。いえ、いえ、私は本当に頑張っていたのでしょうか?こどもの成長する力って無限大で、親が「してあげた」ことなんて、単なる自己満足に過ぎなかったようにも思います。
これから、少しずつ自分の子育てを振り返ってみたいと思います。これから英語子育てをしようと思っている方、現在進行中の方々にも参考になれば幸いです。
私の英語子育ての始まり
30代後半に入籍後2週間で渡米した私の研究留学でしたが、「1年いれば英語が話せるようになる」という私の認識は大きな誤りでした。
それまで何も準備していなかったわけではありません。確かに高校卒業後すぐに英検2級を取ってからは受験英語に嫌気がさして英語を放り出してしまいました。しかし、社会人となって働き始めて5年目に友人に海外旅行に誘われてからはハワイを手始めに、香港・シンガポール・イタリア・トルコ・スペイン・シカゴ…と毎年海外旅行を楽しむようになりました。そして、旅行英会話の必要性を痛感してからは、NHKの英会話を聴き始め、英会話教室に通ったり、車の運転中やJRの移動中も英語を聴き、仕事でも英語論文の作成や英語でのプレゼンテーションをするようになりました。
そんな風に生活するようになって7年くらいたったときでした。彼に留学の話が持ち上がりました。夢にまで見た海外生活が実現する! 私は大喜びしました。それまで多少なりとも喋れるように準備をしてきたつもりでしたし、これで1年アメリカに住めば私もネイティブね!と考えていました。そして、結婚直後に渡米。周囲からは長いハネムーンと冷やかされたものでした。でも、現地に行ってみると聞き取れない、話せない。そして、悲しいかな、1年経っても、聞き取れない、話せないままでした。
「英語がわからない」~渡米した日本人の研究者は異口同音に話していました。
帰国後は挫折感いっぱいで、1年向こうに住んで話せないのだからこの先英語力が伸びることはないだろう、と思っていました。そして、強く心に決めたことがありました。
「生まれてくる子供には英語を喋れるようになって欲しい」
帰国するとき私のおなかの中には小さな命が宿っていました。この子には英語で苦労することがないように英語で子育てしてみよう、と決心したのでした。
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