ぼっちざろっくは過大評価2 〜JKパンチラと熱編〜
高校入ってから、僕は「人生の成り上がりを果たすために受験を利用するために勉強に力を入れる系高校生」つまり、真面目ではないけど勉強へと意識は結構ある方だった。
僕が音楽をスマホで聴き始めたのは、「英語リスニングすきま時間に得意にしたいな」→「じゃあ洋楽聴くか」っていう単純なキッカケだ。それまで、家には自分で買ったCDなんてなかった。だから、僕が繰り返し聞いていた曲も、家という小さな小さな海の、少ない少ない種類の中から釣った魚でしかなかった。だけど、高校生になった僕は、スマホというオールブルーを手に入れた。世界中の魚たちが、YouTubeで、musicFM(今は使ってません)で泳いでいる。その海に僕は毎日船を出していた。通学の電車中に。
最初は、こんな僕でも一度は聞いたことのある、有名な洋楽たちを聞いていた。やはり有名な曲には、何かしら耳に、脳天を揺さぶるに足る理由があるもので、「shape of you」は僕が聞いてもちゃんとshape of you だった。
あんまり聞いてきた曲を紹介すると、「洋楽=陽キャ」という短絡的な公式を立てるやつらに、コイツ陽キャアピールしてやがるって浅い邪推をされてしまうので、やめておく。そういうやつは2024年にもなって、海外パリピ、日本は陰キャみたいな自信のなさから自国サゲに強引につなげてる、ジョージよりよっぽど悪質な危機感二キなんで、あんまり相手しません。何の専門性もないやつらが、GDP世界約200国中4位の国に対して、日常的にもうダメだよこの国はみたいなツイートしてんじゃねえよ。
1年のころは洋楽中心に聞いていたんだけど、段々と、洋楽聞いたぐらいでリスニング得意になるわけじゃないことに気づいてきた。それに、洋楽から、ある1つのバンドを通して、邦楽にもシフトしていくことになる。
それは、高校生御用達のロックバンド、
ワンオーケーロック!!!
王億の曲って、高校生みたいな、思春期真っただ中だからこそ響くものがあると思ってて、今湾奥の曲を聞いても、あの頃みたいにアツくなることが出来ない。全然。たぶん音楽性は大したことないんだろうな。とにかく当時、椀尾久の曲から、僕らヤングアダルトは強烈な「熱」を感じていたことだけは間違いない。
当時好きだった曲とかをただただ羅列してもあんまり面白くないんで、「熱」についてつらつらと書いておこうと思う。
熱。風邪ってことじゃないよ。これって、年を取るほど、薄れていくものなのだろうか。冷めていくものなんだろうか。
熱。特定の事物について熱を、モチベーションと言い換えることもできる。どうしようもなくカラダが、心が、何かに向かってしまう。それを抑えることが出来ない。
熱。それは、大人から見れば、若いうちの特権なのかもしれない。僕はまだまだ若い。20代もあと8年とちょっとある。一般論なら、まだまだ
「熱盛り」だろう。
熱。まだ22歳にも満たない僕は、時々怖くなる。いつも心のどこかで怯えている。こんなちっぽけな僕が、まだ何もしていない、人生は完全にこれからな僕が、すでに熱を失っているんじゃないかと。すでに冷めているんじゃないかと。すでに「乾いて」いるんじゃないかと
熱を失うことは、成長することと似ている。円熟することと似ている。知識を術を自らを良く知ることで、人生をパターン化してしまう。「自分」を自分の外に置く。自分を自分の外から見る。これが出来れば、人生から、どうしようもない焦燥を減らすことが出来る。どうにもならない悔しさ、理不尽な欲求に実体がさもありげな理由を付けることが出来る。青春時代の真っただ中という、二度と繰り返したくはない、思い出の中だけで十分な日々の中で、僕らは苦しみから逃れるために色んな方法を編み出してきた。「熱を失い、術を身につける。」
熱を持った人間は、大抵バカになる。細かいつじつまを度外視して、その熱に踊らされる。半ば実現が不可能に近いことに、自分の時間とエネルギーをつぎ込む。周りから見れば、理解しがたい。それより、何事にも適度に取り組んだ方がいい。一時の熱に踊らされることなく、理性によって、今日何をするべきか考える。何事も過大評価せず、適度な距離を保って生きていた方がずっといい。
僕はそんな考えで、人生を最後まで過ごしていきたいとは思わない。
僕は、時々、昔は確かに持っていた熱を、すでに失ってしまったように感じることがある。それが大人になるためには必要なのかもしれない。でも、熱を失ったら、視野が狭まって目の前のこと一つしか見えなくなることが無くなるわけでしょう。それじゃ、あまりにもつまらないだろう。いつもプレイヤー視点じゃ、熱を失う。キャラクターそのものにならないといけない。プレイヤーの親指一つで明日が変わる、哀れで愚かな存在にならないといけない。
もちろん毎日は無理だ。毎日が楽しくなんてあまりにも難しい。毎日熱だけで生きていくことはほぼ無理だ。それでも、全く熱くなれなかった日でも、少しだけ、自分に熱を持たすことが出来る魔法のようなものがある。僕が高校からずっと実践していたことだ。
それが、音楽を聴く1つの理由だと思う。