「口過ぎ」の仕事をやりながら
「ライフワーク」と「ライスワーク」なんて言い回しは使い古されまくってぼろ雑巾みたいになってはいるけれど、いまだに慣れないというか、好きになれないというか。
ライフワーク=自分の生きがいや、やりがいのためのお仕事
ライスワーク=食べていくために必要な仕事
卑近な例だと、サラリーマンとしての仕事は食べていくためにお金を稼がないといけないからやっているんで、こっちは「ライスワーク」。自分のやりたい仕事は物書きで、あまりお金は入ってこないけれどココナラ、ランサーズ、クラウドワークスなんかで副業でWebライターやってるよーってこれが「ライフワーク」と。
こういう在り方には大いに賛成である。
雇用契約に縛られて、従業員としての一生を終えるのがおよそ一律の正解であった時代は変わった。ある調査では副業をしている人の割合は24.2%だという。大いに結構だ。
個人事業主にせよ、会社経営の人にせよ、事業を営んでいる人からも同じような視点はよく聞く。
受託事業は本来のやりたいこととは違うけれど、企業間の関係性を築くため、あるいは日銭を稼ぐために重要な事業なんだよね。これがライスワーク。まだ新規事業は赤字だけれども自社サービスの新規開発は会社一丸となって成し遂げたい、利益率の高い、世の中に貢献できるサービスなんだ。これがライフワークだと。
種銭を集めながらやりたいことをやるという視点。生きるための活動に加えてやりがいのある活動をやろうという視点。考え方自体はさして新しいものでもなく、個人レベルでもバランスよく持っている人が増えたことからそういう言葉もよく見聞きするようになったんだと思う。「ライフワーク」と「ライスワーク」。
この言い回しにしっくりこないのは、あれです。目新しい言葉でもなく、目新しい観点でもないのにもかかわらず、ゴロが良くて、副業という流行りの視点ってこともあって、それを使っている人のどや顔が透けて見えるからなんですよね。たぶん。
自分で使う時も、どや顔が透けて見えないように平然としているのだけれど、おくびにそういう雰囲気が漏れてないか恥ずかしくなってしまう。だから極力使わないんですよ、ライスワークって。不便でした。
そこで、こないだその不便を解消できる言葉が見つかったんです。
口過ぎ
日々の)暮らしを立てること。生活のための仕事。なりわい。
出典 仁勢物語 仮名
「いかでくちすぎあらん所へ行きてしよな」
[訳] なんとかして生活するための仕事のある所へ行ってみたいものだなあ。
引用:
https://kobun.weblio.jp/content/%E5%8F%A3%E9%81%8E%E3%81%8E
「いやー、この仕事も長いですけどねー、口過ぎっすよ」
なんてね。
通じんでしょうけど。
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恥ずかしさのために語彙を封印するような頑固でシャイな大人になってしまった。そしてそれを払拭する為に古語から言葉を引っ張ってくるくらい偏屈になってしまった…ってのは嘘です。
普通にライスワークって使ってます。
今後書き言葉では、「口過ぎの仕事」とかってかっこつけて書くかもな。でも「口過ぎ」でそもそも仕事って意味も含むからトートロジーかしら。
むしろ「口過ぎ」って使っている時の方がどや顔感強めっていう。
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Riceは米、Liceはシラミですよ。
発音とスペル間違わないようにしないと気持ち悪いことに。