人工林の科学/調査紀行編5・最終回(熊野古道の崩壊地と谷の冷風・三重県〜奈良県側の崩壊地と土砂に埋まる川の変遷2013.7.24-26、コラム「熊野の川でエビを獲る」)
優良ヒノキ林の2倍の過密度/熊野古道の崩壊地
翌日は熊野古道の崩壊地を回った。当時、新聞記事にもなった三越峠の先にある所で、区間でいえば中辺路ルートの湯川王子と発心門王子の間にある。案内していただいたK さんは、熊野古道が世界遺産になるずっと前からをこれらの道を縦横に歩かれている大ベテランである。
下草の少ない密なスギ林(それでも最近伐り捨て間伐を施した跡がたくさんある)が続く。サワガニやカエルに出会いながら進んでいくと林内に石垣が見え、廃屋が現れてちょっと驚いた。
山村の石垣の上にスギが植えられているのは全国的に珍しくない。過疎になり家を引っ越して町に下りるとき、田畑にスギを植えていくのである。ここは棚田の跡にスギが植えられたものであろう。
K さんによれば、熊野古道沿いの廃屋は少なくないという。つまり熊野古道は昔は生活道路でもあったわけで、道沿いに家々があったのだが、近代車道ができてしまうと歩くだけの道の生活が立ち行かなくなり、より便利な場所に離村していった。
廃屋の森を抜けると崩壊地だった。
当時の新聞記事の写真のまま、まだ工事が手つかずだった。もろい砂のような土質の上に、貧弱で浅い人工林の根が観察できる。崩壊地を横断する歩道の両側には杭とロープが張られていた。
谷側は折れて流されたスギが折り重なっている。対岸には皆伐跡地にシカの食害が入って一部裸地化したり、表層崩壊を起こしているのが見える。私たちが密度調査をしているとシカの鳴き声が聞こえ、その姿を発見した。向こうからも私たちの姿がよく見えたに違いない。
スギの平均胸高直径は25㎝、半径4m円の内本数は平均で10本。1ヘクタール当たりの胸高断面積合計は98㎡であった。前日の七越山で見た優良ヒノキ林の2倍の過密度で、予想の通り荒廃極まった人工林である。
その崩壊地の先に道を進んでみると突き出た尾根の部分は地質が硬い岩で(といっても節理がボロボロと崩れるような種類のものだが)、その上にはシイなどの広葉樹に混じって実生のヒノキがけっこう大きく育っているのである。おそらく岩尾根なので植林を避けた場所なのであろう。つまり、天然ヒノキが広葉樹と混交状態で育っている。
涼風が熊野の奥深さを教えてくれる
それにしても、熊野の森は暑かった。三越峠が標高550mくらいでそれほど高くはないし、何しろここは紀伊半島だ。これほど深山の雰囲気のある山中で「暑い」と感じた経験が思い出せない(もっとも、Kさんの話では今年はとくに暑く、中でもこの取材中の2~3日はいちばん暑かったのではないかとのこと)。
ところが、林道を歩いていると小さな沢沿いからものすごく涼しい風が流れてくる。われわれは、しばし無言のままその沢を前にたたずんで、涼風を楽しんでしまった。
「熊野の照葉樹の切り立った谷の底は冷涼で、それゆえ低標高で海の近くでも高標高の植物が育つ」と、後藤伸先生が書いていたのを思い出した。
これが熊野の照葉樹林の不思議で魅力的な生態の一つなのだが、後藤先生に言わせれば、これこそが日本の照葉樹林の特質であって、照葉樹林は人里に近いので古くから森が拓かれ樹種が変化したので、それが見えなくなっただけなのだ、という。
スギ・ヒノキ人工林に覆いつくされるまでは、熊野にその生態系がかろうじて残っていたのである。
川を破壊する土砂崩壊
時系列が前後するが、最後に三重県〜奈良県側の崩壊地と川の様子を紹介したい。
まず三重県と奈良県との県境(国道166号三重県側)で見た飯高町木梶の崩壊地。今回の土砂災害、深く崩れるのは尾根のてっぺんから始まっている例が多い。
その下の木梶川の土砂堆積の様子。スギがなぎ倒され土石流の擦れで枯れているのと対照的に、中州に残る実生の広葉樹は根が深いので流されていない。
十津川沿い(国道168号)に入ると次々と崩壊地と工事現場が現れる。川は土砂に埋まり、すでに死んでいるかのようだ。上流にダムがあるのでその影響もあるのだろうが、とても魚が居着ける環境には思えない。
奈良県五條市大塔町宇井地区で起きた斜面崩壊(写真下)。手前の工事跡は2004 年8月崩壊のもの。
2011年の紀伊半島豪雨ではこの700mほど下流の対岸で大崩壊が起きた(Google Earth 航空写真は「森林講義編3」)。手前の工事跡の周囲周囲の人工林がいまだに間伐が遅れて遅れ荒廃したままなのは「森林講義編4」に接近写真を示した。この崩壊地は航空写真では細かい虫ピン(針)のような樹木が散乱していたが、実際現地で見るとそれはやはり荒廃人工林(スギ・ヒノキ)であった。
支流の赤谷崩壊地は下流の沢沿いの土石流の痕跡が凄まじく、工事用のゲートがあって近づくことができなかった。
この周辺は「清水」「長殿」「田長瀬」と大崩壊地が続く。土木学会ではこの地区を重点的にまとめた報告書を作成しており(「森林講義編3」*10)、翌平成24年5月にも再調査を行い報告書(*36) をまとめている。が、内容はどちらも地質など土木的な解析に終止し、山林との関係はまったく語られいない。
その後、十津川沿いにさらに南下し、いくつかの崩壊地を撮影する。この日は暑く天気がよかったせいもあって、山が非常に乾いている感じを受けた。読者の方々も、これらの写真を見て水気のない、保水力のないパサパサの山、という印象を持つのではないだろうか。
しかし、このような山に豪雨が連続した場合、土は急激に水を含み、重くなる。土砂降りのとき、水はけのよい土壌ならば、沢筋に地中を通った雨水が吹き出るほど水が出てくる。そこがコンクリートで厚くせき止められたとき、水を含んだ巨大な土圧がかかる。
だから、渓畔林というのは非常に重要で、水の浄化の役割も果たすし、ここに湿性の広葉樹がある(残す)ことで、洪水のとき水が増えても土砂が流れない。それだけでなく大きな根の張りによって、自然の土留めの構造物にもなっている。水を浄化しつつ、水を通しながら、土留めも果たすという、むかしの石垣のような機能を持っているのだ(下図)。
残念ながら、紀伊半島には山の尾根から沢の水際まで、一面にスギ・ヒノキが植えられている場所が多すぎる。
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○コラム/熊野の川でエビを獲る(富田川2013.7.27 )
(了)
(「あとがき」に続く)
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