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人工林の科学/森林講義編1(はじめに)

長らくお蔵入りしていた『人工林の科学』(スギ・ヒノキ人工林施業と土砂崩壊のこと、とくに紀伊半島の現状とその再生法について書いた文章)をnoteに無料公開します。講義編(7本)と調査編(5本)+「あとがき」の合計13本です。まずはイントロ「はじめに」です。

はじめに——クジラのひげとベルギーワッフル

2011年(平成 23年)8月末から9月初めに日本列島を襲った台風第12号は、広範囲に強い雨を降らせ、全国各地に土石流・地すべり・崖崩れなどの大きな被害をもたらしました。特に紀伊半島で土砂災害が多発し、奈良・和歌山・三重の三県で死者72人(和歌山県56人・奈良県14人・三重県2人)、行方不明者16人という、近年の台風では最大級の被害を引き起こしたのです。

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記録的豪雨とはいえ、崩壊箇所は人工林の斜面が大多数で、誰の目にもその誘因は「スギ・ヒノキ人工林の植え過ぎ、その放置」のように思われましたが、報道は「深層崩壊」という言葉に終止し、森林の情況については、まったくといっていいほど触れませんでした。

紀伊半島の人工林問題については、在野の生物研究家として熊野の森に精通されていた後藤伸さん(2003年逝去、同年第13回南方熊楠特別賞受賞)らが危機感を持ち、私などよりも早い時期から「巻き枯らし」による強度間伐・混交林化を推進しようと働きかけていたのですが、林野行政、研究者らはこれを受け入れず、補助事業として採用されなかったのです。

ほんらい伐ってはいけない原生的な照葉樹を伐採し、スギ・ヒノキを植えてしまった場所が紀伊半島にはたくさんあります。被害の多かった奈良県と和歌山県の人工林率は、どちらも61%。そして三重県は62%(全国平均は41%、これでも多すぎるのですが……)。これはどういうことかというと、植えられるところはほぼ人工林化してしまった、というくらい紀伊半島は人工林だらけなのです。先の後藤伸さんに言わせれば、

なにしろ、紀伊半島というのは大変な多雨地帯です。山そのものが雨に対応できるだけの、ほんとは山そのものの生態にそれだけの能力があったわけです。ただ、植林によってそれを完全に潰してしまって、やがてこれが、今言ったように何十年か先は山の崩壊という事態を招くことになるだろうと思っています。そのときまで我々はどうするのか。大変な問題ですよね。

2000〜2003年の講義より

と、この事態を早くから予測していたのです。テレビや新聞では深層崩壊と呼ぶ崩れた断面の絵が映し出されましたが、その始まりの亀裂をみると皆、根の浅いスギ・ヒノキ線香林——間伐の遅れた荒廃人工林ばかりでした。もし、ここに樹齢300年以上の実生の広葉樹の巨大な根が刺さってネットワークを作っていたらどうでしょうか?

広葉樹は深い根で斜面を支え、つなぎ止める。原生林は崩れにくく、保水力も極めて高いのは、この地中の大きな根が土を掴み、水を蓄えるからです。一方で戦後植えられたスギ・ヒノキは根が浅く、保水力も土を捉える力も弱いうえに、間伐の遅れた荒廃林は林内に草木が消え、表土を流しています。

昔の照葉樹林がどれほどすばらしいものだったか、後藤伸さんの講演録(『明日なき森』熊野の森ネットワークいちいがしの会編)から引いてみましょう。

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とくに「ブナ林がすばらしい」て盛んに今言うでしょ。さらに、「ブナはこんなに水を貯めて、こんなに吸う」て言いますね、それを見たら、「ああホントにブナ林のほうがええんかな」て思うんです。

『明日なき森』(以下同)

何故ブナ林がええかて言うと、日本には原生林の状態のブナ林があるんですよ。原生林だから、ちゃんと水を蓄える力が大きいんです。しかし、常緑樹の原生林があったら、これはブナ林よりはるかに水を蓄える力ずっと大きいんです。ただ、残念ながら、そういう原生林はもう伐ってしもたからないんです。だから、那智の滝の端のほうにある森林とか、大塔の奥のほうにある森林がもし全部伐られないでちゃんと源流まで残ってたら、森の保水力なんてそら桁違いのもんになってるんです。

(185ページ)

一晩に200ミリ300ミリ程度の雨では、照葉樹のまともな森林があったら何も怖いことはなく、水害のもとにはならないというのです。実はブナ林よりも照葉樹のほうがずっと保水力が高い。もともと照葉樹林は雨の多いところで発達した森林なので、そういう大雨に耐えるようにできている、と。

ひとつの台風で三〇〇〇ミリも降ったことあるんです。三〇〇〇ミリいうたら三メートルやで。どこかというと大台ケ原です。紀伊半島中央部の雨は全部紀ノ川と熊野川へ流れてくる。みな、和歌山県です。だから、和歌山県というのは大雨に関しては自慢できる。それをはたへ置いて、「これは記録的な大雨や」というレベルのもんではない。

(254ページ)

もちろん家も浸かるし、いろいろあるんやで。大雨が洪水になることは間違いないけど、それが必ず災害につながるということではない。どんなに大量の水であっても、水だけではそんなに大きな力はないんですよ。水には流す力はあるけれども、壊す力はない。このへんだけしっかりと頭に入れておいてほしいんです。

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後藤さんに言わせると、しっかりした照葉樹があれば、大雨が降っても濁るのは最初だけで、あとは澄んでくるというのです。水量は増すけれども破壊力のある水流ではない、と。私は伊勢神宮宮域林の前営林部長、木村政生さんが五十鈴川について同じことを言っていたのを思い出しました。

次いで土石流とその対策について見てみましょう。どんな仕組みで大雨が土石流を引き起こすのか? 護摩壇山などの紀伊半島の高い山で大雨が降っても、普通の自然林だったら問題はなく、崩れてもたかが知れているそうです。ところが……

ところが、植林となると、根が浅くしか入ってないけど絡み合って板状になっているから普通の雨ではなかなか崩れんのです。水は地中に染み込まず、その表面をさっと流れてしまいます。大雨が降ったらすぐに川の水がどっと出て、すぐ水がなくなるのはそのためです。

しかし、これが一週間にわたって毎日五〇ミリとか一〇〇ミリの雨が降ってここにじわじわと染み込んでくると、しまいに根の下を水が流れるようになるんです。そうして、最後のとどめ一発の五〇〇ミリというような大雨が降ったとしたら、これがそのまま滑るんです。これがそのまま滑って、土砂で谷をペタッと止めてしまう。そしたら、その奥にダムができるんです。この水がやがて押してきて、この崩れてきた石と水を木材なんかをみんな押し出すわけです。これが土石流です。

(256〜7ページ)
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では植林木(人工林)の何が問題なのでしょうか? どう対処したらよいのでしょうか?

いちばんの問題は、今言ったように根が土の中で板になる。平地に生えていればいいけれども、これが傾斜地で根の下を水が流れたらおしまいです。全部、山の斜面が滑りますから。

それじゃ何故滑らないかというと、前に伐った広葉樹の株がわずかでも生きているからです。上は伐っているけど、ちゃんとカシの木は生きているから一応滑るのだけは止まっている。しかし、これもいつまでもはもたない。やがて、植えた木が太くなれば太くなるほど滑りやすくなる。つまり、大きな成木林が滑るんです。山が裸になったから滑るのではないんです。

だから、滑らないように、まず植林の間に根が縦に深く入る広葉樹と混ぜることが大事です。カシやその仲間は伐ってもまた芽を出すように株が生きているんです。だから、隙間を開けて下にカシ類が生きていけるようにすれば山の崩壊は免れるんです。

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まさに、間伐遅れで下草や中層木がなくなった荒廃林(特にに植えてから時が経ち太くなったもの)が危険であり、それを解決するには根が縦に深く入る広葉樹が中に入ること、すなわち人工林にすき間を開けて広葉樹——カシ類のとその仲間たち——の再生を図ることが大切である、と後藤さんは述べられているのです。若い頃から徹底したフィールドワークで熊野の隅々を歩き、古い時代の山の姿について古老の話によく耳を傾けた、後藤伸さんの言葉には重みがあります。

古くから熊野は信仰の聖地でありました。その山と川を破壊し、多くの人命を襲った今回の崩壊斜面に、クジラのひげのようなスギ・ヒノキ荒廃線香林がびっしりと立ち並んでいます。やがてそこには土木工事だけが大々的に行なわれ、ベルギーワッフルのような編み目状のコンクリートが塗りたくられていくのです。

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これまで人工林問題に関わってきた私はこの一連の流れを看過できず、ブログ等で発信していたところ、2013年の初頭に、後藤伸さんの創始された「熊野の森ネットワークいちいがしの会」から講演のお誘いを受けました。その講演録に加筆修正したものがこの「森林講義編」です。その後、数回に分けて熊野の山林を調査しました。そのレポートと考察が「調査紀行編」です。

調査して感じたのは、紀伊半島の人工林の荒廃が予想以上に深刻であり、その対策がほとんど追いついていないということです。密植・枝打ち・間伐をしながら、製材無駄の少ない良材をできるだけ多く山から収奪する——というのが近代林業の常態でした。しかし、そのようなやり方はこまめな管理が必要条件であり、管理できたとしても、急峻で雨の多い日本の山では、行き過ぎれば山そのものを破壊しかねないのです。

まず人工林とは何か? その科学を知ることから始めねばなりません。

本編が一般の方々の多くの目に触れ、山の手入れ(「間伐」の質)の重要性が理解されるとともに、熊野ひいては日本の人工林・森と木造の文化が、早やかに再生されることを願っています。

(森林講義編2に続く)

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