万年ペーパードライバーが鬼門「首都高」に挑んだ話。
免許更新のはがきが届きました。
嬉しいことに、今回もゴールド免許を更新。
当然です、運転しないので。
昔から「人を轢いちゃったらどうしよう」という漠然とした恐怖があり、どうしても積極的に運転することができません。
その悩みを周りに吐露すると、口をそろえて「みんなフツーに運転してるから大丈夫だよ!」と言ってくれます。
「みんなフツーに運転してる」という言葉が詭弁に過ぎないことは、免許更新時に警察署で視聴する「悲惨な交通事故の映像」を見ればわかります。
そのたびに私は、「二度と運転なんてしないぞ」と固く心に誓うのです。
それゆえプライベートでは、どんなに行きにくいところであっても「電車の方が渋滞もないし時間も確実だから」と強がり、電車を使います。
私の生活圏内は、車がなくてもなんとかなってしまう。これも、運転への覚悟が生まれない大きな理由だと思います。
でも、弊社は屋外空間で提供するサービスがメインなので、車がないと仕事にならないのです。
仕事に支障をきたすわけには・・・と、ペーパードライバー克服を志して努力した時期もありました。
夫の禁煙チャレンジ回数は100回をゆうに超えていますが、私のペーパードライバー克服チャレンジ回数も、それに引けを取りません。夫に助手席に乗ってもらい、運転の練習をしたことは数知れず。
ただ、毎回同じ結末になります。
開始5分で夫は私の不安定な運転にガチギレ、私も逆ギレ。
もちろん車中の雰囲気は最悪です。
そのたびに「もう二度と夫には頼らない」と思うのですが、そのことをすっかり忘れた頃にまた「運転の練習したいから付き合ってくれない?」と言い、また車中がお通夜になる、を繰り返しています。
身内に頼むのは無理だと悟り、プロに助けを求めたこともありました。
自分の車で行うマンツーマンのペーパードライバー講習です。
教官の方が私の家まで来て、私の車に同乗して運転を教えてくれるというもの。練習車も自分の車、走行コースも自分の近所という、とてもありがたいサービスです。
私が受講したのは1回あたり2時間の3回コース。受講内容は自分の希望に合わせてくれるので、私はこんな感じでやりました。
1回目:家の駐車場から車を出し、戻すの繰り返し
2回目:自動車専用道路に乗り、降りるの繰り返し
3回目:スーパーの駐車場に駐車し、発車するの繰り返し
しめて伍萬円也。
「5万円…美容皮膚科行けるじゃん」と思いながらも、この講習のおかげで私は家の駐車場から車を出し、自動車専用道路に乗り、スーパーに行けるようになりました。
もちろん練習したルートでしか動けないので、「途中でガソリンスタンドに寄る」といった寄り道はできませんし、スーパーの駐車場が混んでいて空きが少ないときは危険と判断し、そのまま買い物せずに帰宅します。
どこへでも行けるのが車なのに、事前に決められたルート上しか走れない。
「それ、車の意味あるの?」と言われると反論できませんが、それでも大変誇らしかったのを覚えています。
この大きな成功体験に自信をつけた私は、自宅とタマリバーの往復など、すこしずつ仕事で車を使うことに挑戦していきました。
が、2024年現在、このざまです。
最後に運転席に乗ったのがいつか、全然思い出せない。
なぜまたぺーパードライバーに戻ったかというと、あのあと引っ越して「新しい駐車場から車を出すこと」ができなくなったからです。
「私って、もう一生ペーパードライバーなのかな」と免許更新のはがきを悲しい気持ちで眺めていたとき、ふと思い出しました。
私、昔ひとりで首都高を運転し、成田から横浜まで帰ったことあったわ。
新婚旅行の帰りに起きた予想外の事件。
前置きが異常に長くなりましたが、今日はこの話をしたいとおもいます。
私と夫が新婚旅行先に選んだのは、モロッコでした。
理由は、サハラ砂漠を見てみたかったから。
だってよく言うじゃないですか、「砂漠に行くと人生観変わるよ」って。
そんな手軽に変えられるなら行ってみたいと思い、夫を説得してモロッコに旅立ちました。
この旅行は団体ツアーではなく(二人とも集団行動苦手)、ガイド兼ドライバーの方にお願いして各所を回ったのですが、私たちはよりによって真夏に行きました。
車から降りると外は常に40度以上、砂漠は50度近い灼熱の地。
「何の修行なんだろう…」と思いました。
でも、こんなに暑いのに街のそこかしこで元気に殴り合いが起きていたので、ガイドのイブラヒムに「みんな元気すぎません…?」と聞くと、
「今年は真夏のラマダンだからね。みんなおなかがすいてイライラしてる」
と教えてくれました。
完全に予想外だったのですが、私たちがモロッコに旅行した時期はちょうどラマダン中。その結果、ほとんどの店が営業していない。「完全に行く時期間違えたな…」と思いました。
それでも、古い邸宅を超絶おしゃれに改装した宿泊施設のリヤド、色とりどりで目移りしそうな雑貨が山のように置かれているマーケット、壮大な渓谷や砂漠など、普段の生活と全く異なる環境を楽しみました。
しかし私は慣れない暑さにバテてしまい、予定していた砂漠でのアクティビティを断念し、最終日はホテルで休憩をとることにしました。
夫は元気だったので、イブラヒムと一緒に出かけていきました。
昼過ぎに夫がもどってきて、「砂漠の砂で作るピザがあってさ、魚のピザを食べたんだよ」なんてお土産話を聞きながら、帰国の準備をしました。
そして夕方、モロッコとイブラヒムにお別れをし、飛行機に乗りました。
モロッコから日本への直行便がなかったので、パリのシャルルドゴール空港で乗り継ぎです。
時間つぶしにカフェで休憩していると、夫が「ちょっとトイレ行ってくる」と行って席を立ちました。
しかし、全然帰ってきません。
どうしたのかしらと思っていると、顔面蒼白になった夫が帰ってきました。
「大丈夫?・・・じゃなさそうだね、その顔」
「疲れがたまったのかも、機内でゆっくり寝なよ」なんて話しながら、日本行きの飛行機に乗りました。
この飛行機に乗っている間、夫は機内トイレから出てきませんでした。
席に戻ってちょっとするとまたトイレに…を繰り返し、青白い顔をしたまま成田空港に無事帰国。
空港に着くと、夫が「もう大丈夫そう」と言うので、私は安心して空港に停めておいた車の助手席に乗り込みます。
そして空港を出発し、30分経過したとき。
「ごめん…やっぱ無理…」
無言で運転していた夫が急に消え入りそうな声を出し、突如サービスエリアの駐車場に入りました。
彼は体を90度におりまげながらトイレに駆け込む、いや、駆け込みたいけどおなかが痛すぎて走れない、といった不思議な体勢でトイレに行きました。
そして、そのまま帰ってこない。
やっと戻ってきた時に彼が発した一言に、私は驚愕します。
「…運転…たのむ…」
今度は私が顔面蒼白になる番です。
私、この車運転したことないのですが。最後に車を運転したのがいつかすら分からないのですが。
しかも家に帰るには、恐怖の首都高速道路を運転しなければなりません。
ペーパードライバーにとって首都高はまさに鬼門。絶対無理。
でも、目の前にいる青白い顔の人のほうが、もっと無理そうでした。ついに私は覚悟を決め、運転することにしました。
なお、夫もかなりの覚悟だったと思います。
この車は、夫が命の次に大事だった大型バイクを涙ながらに売り、そのお金を頭金にして長い長いローンを組んで買った新車です。
夫は息も絶え絶えな状況で「これがブレーキ、これがアクセル、これがウインカー」と私に説明しながら、
「自動ブレーキついているから、いざというときは車が助けてくれるから」
「もしどこかにぶつかっても俺絶対怒らないから」
「だから…家まで…とどけ…て…ガクッ」
夫はその後、静かに目をつぶりました。
私は「絶対に、絶対に夫の無念を果たす…!」という感じで自分にはっぱをかけ、車のエンジンをかけました。
脳内は、T-SQUAREの「Truth」がエンドレスリピート。
運転しだすと手は震え、肩はがちがち、体中から冷汗が流れます。
カーナビが「●●メートル先、右方向です」としゃべるたびにパニックになり、震える声で「ねえ夫…!●●メートル先っていつくらい先なの?ねえ!」と声をかけるも、もちろん返事はありません。
ちらっと横を見ると、そこには完全に意識が飛んでいる夫の姿がありました。
その後のことは、正直なにも覚えていません。
ただ、なんとか無事に、家まで帰ることができたのです。
ちなみに夫はその後夜間病院へ行き、間髪入れずに先生から「はい、食中毒!」と言われました。
どうやら、砂漠で食べた魚にあたったみたいです。
そして、夫は有休休暇を追加し療養。
なかなか思い出深い新婚旅行になりました。
というか、わたしたちの新婚旅行の記憶はほとんどこの「腹痛首都高運転事件」が占めており、モロッコの地での思い出は全般的に霞んでいます。
だから、新婚旅行のことを思い出すたび、思うんです。
私は、首都高を一人で運転できる人間です。(盛大なドヤ顔)
この奇跡をもう一度起こすためにも、そろそろ101回目のペーパードライバー克服に挑もうかな、と思います。
最後に、砂漠に行っても価値観は特に変わりませんでした。