何回でも明日は来るから
お久しぶりです。
何かと落ち込んでいました。
一番は目のことです。。。
今まで、なんか見えにくいな?ということがあっても、視力が落ちたかな?老眼が始まったかな?鳥目が酷くなったかな?と思っていて、視力・老眼に関しては矯正すれば見えるようになるものだと思い込んでいました。
目の病気を知るきっかけになったテニスでも、動体視力がついていかないから、慣れれば打てるようになるとか思ってました。
でも、それら全部、無理なことでした。
「見えにくい(けど矯正すればいい)」というのと、
「そもそも見えていない(矯正も治療もない)」
というのでは、かなり違うということに、生活の中で少しずつ気付いてきました。
目を細めようが何しようが、見えない。見えていない。
ミシンの糸が見えない、どこを縫っているのか分からない、真っすぐ縫えない、それらはミシンのせいでもなければ、老眼鏡でどうにかなるものではない。
そうしたら、色々やる気が失せて。
もう一つは旦那のこと。
詳しくは書きませんが、心療内科の先生曰く、
「今の状態では、またいつ入院してもおかしくない」そうで、なんかもう色々、ほんとに色々疲れてるし、愚痴りたいけど、愚痴る場所もない。(コロナで人に会えないし)
そんなこんなで年明けから半年、手芸は中途半なまま部屋に転がり、久しぶりに消しごみハンコに挑戦したら見えなくて上手く彫れず。
そういった嫌なことから逃げるのに、ゲームは大いに役立ってくれました。
でもやっぱり見えないと負けてしまってイラついたり(笑)
この半年でやれたことと言えば、小説を1冊読み切ったぐらい。
あと漫画。
4月に目の診察があって、「何か不自由はありますか?」と聞かれ、
「見えないということを認識したからかもしれませんが、見えにくいです。診察前のが見えてる気がしました」と言ったら
「そうですね、認識することで気付かなかったことに気付いてしまい、見えないことを知るという場面はこれからもっと増えてくると思います。でもおそらく、生活に支障(助成金や介護レベルがつく)が出てくるのは、何十年か後ですから…」
だからなに??????
と、言われた瞬間思いましたね。
その間を楽しく生きたいんだよ、私は。と。
20年ぐらいかなと先生は言っていた。
その時はピンとこなかったけど、20年後って、私まだ60代前半じゃん。。。退職金や貯金で、お友達とどっか旅行行ったりするのが夢だったのになぁ。なんてことを最近考えております。
今言ってても仕方ないこと。
もっと前向きにー前向きにーと思っていても、
それができたら苦労はないんだよと。
おそらく、コロナ渦で愚痴れないのも原因の一つなんだろうと思う。
旦那は私の愚痴を聞いたり、慰めたり励ましたりということの反対側にいる人なので、旦那に話すこともできず。
だからこの前つぶやいた、趣味の取捨選択をせねばと思った。
同じ黄斑ジストロフィーの方のブログなんかを読んでると、
趣味が「旦那と旅行、景色だといつもより見えるから」だとか、
サイクリングが趣味で、その為に体を鍛えたり、これまた旦那さんとサイクリングしていたり。
うわー。そもそもうちの旦那と私の趣味、何一つ合ってねぇー。
元々がどうだったかは分からないけど、手芸をやっている人は見つかりませんでした。読書の方はいたけれど、拡大鏡を使って一文字ずつ読むとか書いてあり。。。
物作りが趣味だった私が、これから何をどうやっていけば、
心に折り合いをつけつつ、楽しく過ごせるだろうかと考えてます。
「今からそんなこと気にしてもしょうがないよ」と思う方もいるかもしれません。いや、自分でも思ってるし。
でもどうにも気持ちが上がらないんです。
こんな時どうしてたっけ?と考えると、友達なんですよね。
相談する訳ではなくとも、友達と会い、話し、笑う。
それだけで「明日からまた頑張ろう」と思えたのですが。
最近はメレンゲの活動も止まっているし。
ライブはね、行くとなんだか励まされるんだよね。
応援ソングがある訳じゃないんだけど(笑)、あの空間は現実だけど非現実的で、ロマンが溢れていて、魔法をかけてくれるんです。
ディズニーより魔法をかけてくれるよ、メレンゲライブ。
ああ、そうか。
励ましてほしいんだな、私。
誰かに、寄り添ってほしいんだ。
だらだらと書いて今気付いた。
時間かかったなー。
まだまだ地面ギリギリ低空飛行で、いつ高度が上がるか分からないし、操縦の仕方も分からない。
オンボロ飛行機でグラグラと飛んでいる状態だし、着陸地点も分からない。
今の私にできること、それしかできないこと。
それは、もうとことん落ち込んで、現実逃避して、
転がった刺繍は転がしたまま片付けず、
日々の生活だけこなして、体力落ちないようにジムに行って、
そうしていたらきっとまた高度が上がると信じて、
また明日も生きていくしかないのだ。
もしかしたら年内、刺繍は転がったままかもしれない。
それでも、ふいにすっと手に取れるように、
君にはまだ刺繍があるよと教えてもらえるように、
必ず仕上げるからね、と約束だけして。
ごめんね、弱くて。
ごめんね、いつまでも落ち込んでて。
刺繍をやるぞと決めたのにね。
今できること、しなくちゃなのにね。
できなくてごめんね。
でもいつか。
いつかきっと。
タイトルはメレンゲ「エース」より。
「いつかきっと目の前に虹はかかるよ
いつか いつか いつか いつか
それでも意味はあるよ
何回でも明日は来るから」
が、しっくり合ったので、使わせていただきました。
いつか…って、いい言葉だな。