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エビのトマト煮込みと庭のパセリ きっといいことあるなと思うから料理する #まいにち土鍋

冷凍庫のさよなら

窯のさよならにつづき、庭のさよならも、ただならぬ悲壮感があるのだが、昨日も書いたが「感傷的になるまい」と心に誓ったからこそ、どう心をもちあげていこうかまいにち考えている。

そうそう、冷凍庫のさよならも、けっこうグッとくる。こちらは消費期限にも関わってくるので、スパッとそこで断ち切るのが常識だ。このエビは、わたしの独立を強く支えてくれた上司であり人生の先輩が毎年贈ってくれた海鮮物。彼女は去夏「さよなら」も言えないまま旅立ったが、そのあとも贈り物はそのご家族のご好意でつづいている。


エビのトマト煮

エビはたくさんの卵を抱えていたので、前足を残して足と触覚をキッチンバサミで切る。ニンニクと玉ねぎをたっぷりめのオリーブオイルで炒め、そこにエビを入れ両面を焼いたら、たっぷりの白ワインをじゅわーっと注ぐ。しばらくアルコールを飛ばし、トマト缶を入れ、塩を加えて煮る。エビは木杓子で少し揺らすくらいで、ひっくり返したり激しく混ぜたりしない。最後にパセリのみじん切りを加え、味を整えて完成。


きっといいことあるから料理する

互いの仕事柄、荷物が通常の倍はある。イレギュラーな引っ越しが大問題。隠さずに言えば、私たち家族のカラダはズタボロで、脳みそはパンパンに腫れている。

「お弁当かってくる?」と話すけれど「食べなきゃいけない食材はいっぱいある」と、家人とふたりで芯に残るエネルギーを奮い立たせて、おいしいものをつくろうと頭を悩ませる。もちろん外食やテイクアウトやお惣菜という便利さと美味しさは忘れない。いざという時の切り札に変わりはない。

料理って、この気持ちだよなと思う。「食べたいからつくる」は理想的。「つくらなければならない」という義務で止まったら救われない。その先に「きっといいことある」くらいまじない的なものがあると思っている。ただし「いいことない」と直感的に思ったらすぐやめること。例えば、がんばりすぎたら倒れるなとか、無理強いしてもいいことないよねとか。

子どもが常におなかを空かせていた時期も、幼稚園から高校までまいにち作ったお弁当も「相手のために」なんてエゴイズムは捨てなさいと園長の一言が腑に落ちた。そして「つらいならやめなさい」と、勝手に自分に言い聞かせた。「きっといいことある」と思えるから続けられた。それは相手に対する期待感でないことを強調しておこう。自分にとって「いいこと」なのだ。

きょうは、荷物の追い込み作業しながら、冷凍庫にある庭の桑の実をジャムにする。9月も、きっといいことが待っている。


8月31日(水)
煮る・盛る「土鍋コッチョリーノ3合炊きサイズ浅」


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