土鍋で秋を炊く2020年「落花生ごはん」
あの人を想う味
土まみれな殻は地味だけれど、殻をやぶって出てきた薄紅色の実は、惚れ惚れするほど華やか。今年も恒例の落花生ごはんを炊いた。
日ごろの我が家は100%玄米食で、減農薬の玄米を秋田の農家から取り寄せている。子どもが卒業した学園と農家が古くから協働したもので、お米に学校の名をつけてくれている。食べるたびに、ホームステイ先の農家の顔を思い出す。食材から誰かを想うことは、とても大切なことだ。土鍋もうつわも、そうであって欲しいと願い「一点物」にこだわって日々を捧げている。
さて、たまに食べる白米。玄米に比べて甘い。そこに落花生の土の甘みが加わり、果たして誰がつくったものだろうと、空を見上げる。
落花生どろぼう
東京のまんなかで育った両親は、慣れない土ぼこりの畑が残る関東の新興住宅地で居を構え、わたしはそこで生まれた。疎開に出た父は知識があったけれど、母は、畑や野菜のことに疎かった。
現在は影も形もないが、通学路には畑があって、ある日、小さくてカサカサなお芋のようなものがぶら下がった植物が、土まみれで引っこ抜かれていた。「あれ、落花生どろぼうがやったんだよ」と、友だちが小声で言った。
その後、土の中で育つ落花生も、枝で育つ大豆(枝豆)も、どちらも「豆」だと知った。落花生の中身はピーナッツだけど、ナッツではないと知った。そして、「黄色い花が咲いたあと、花のなごりが土にもぐり生きてゆく」だから落花生だなんて、ロマンティックなことも知った。
落花生ごはんを炊くたびに、あのどろぼうのことを思い出す。落花生どろぼうは、黄色い花を見て、土の中に生きる落花生を楽しみにしていたのだろうか。
遠いあの日の秋の空を見上げながら。
あとがきコッチョリーノ
▶︎個人Webサイトのブログで何年か前からつづいている「職人のなんちゃってレシピ」。料理とうつわの相互性の関係から、動画での表現が増えてきた。▶︎2018年にnoteと個人ブログ両方で掲載していた「土鍋で秋を炊く」シリーズ。あるところからのご依頼で記事を探しているのだが、わたしの整理整頓がなっておらず、どうもnote記事は見つかりにくい。▶︎あった!ということで、まずは2018年「秋を炊くマガジン」を貼っておこう。▶︎設立当初から始めたnoteだが、どうも伸びが悪く過去3回リセット(リタイヤ)した。個人Webブログの方が検索に引っかかるでことが多いようで、問い合わせもあちらからが多い。検索がしやすいのかな。▶︎マガジン増設だけのためにプレミアム会員でいることも今後の悩みどころだ。
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