「旅する土鍋 リトアニア①」世界で同じように手を動かしている喜びを分かち合いたいだけなのかもしれない
その国の新聞にひとつひとつ包まれたうつわと真っ黒になった手。梱包をといて、うつわをひとつずつ台に並べてゆく疲れた笑顔。極寒な空気のなかで動く無骨な硬い指。乾いた唇からはしゃがれた声。流暢でない言葉のネックレス。
これまでに、どれだけの陶芸家と握手をかわしてきただろう。
40代以上の職人とはなかなか英語が通じない。けれど粘土や焼成温度については、なんとなく通じ合える。
知りたいことがあるわけではない。世界で同じように手を動かしている人と喜びを分かち合いたいだけなのかもしれない。
その手が共通と知るとき、孤独から解き放され翼が生えてくるような感じがする。
背中をさする。
買ってきた職人の魂のカケラであるうつわを並べながら、温めたバナナミルクスープをからだに流す。
ユダヤ人街で売っていた天使ダミエルの白くて大きな翼を買ってくればよかったかなと思いだしている。