夢をかなえてドラえもん

New Jeansを聞きながら帰るのが最近のマイブームなのだが、イヤホンを忘れた絶望の飲み会からの帰り道、後ろを歩く大学生がNew Jeansの東京ドームライブの話をしていたことになぜだか大変救われた。このようなことに幸せを感じることができるのは良いことである。


音楽は往々にして記憶と結びついて存在する。
マキシマムザホルモンを聞けば、それまで音楽とは縁のない生活を送っていた中学2年生のGW明けに、ニシ君からホルモンを教えてもらったことで初めてロックというものに触れたこと、その衝撃、その後ニシ君ととてつもなく仲が悪くなったこと、などを思い出す。
ユニゾンスクエアガーデンを聞けば、高音が出ないから絶対にやりたくないと言っていたボーカルのマエダ君の主張に聞く耳を持たず、『オリオンをなぞる』をどうしても高校の文化祭でやろうとニシ君が強行突破を試み、結果的に文化祭前にバンドが解散したことを思い出す。
THE Telephonesを聞けば、ニシ君と仲直りして一緒にテレフォンズのコピバンを結成したはいいものの、ライブで取り返しがつなかいほどの大スベリをしたことを思い出す。


音楽は往々にしてニシ君と共にある。
音楽は往々にして顔がとっても長いニシ君と共にある。


最近全く聞いていなかった、昔大好きだったバンドのライブ音源をこの前の帰省の際に電車の窓を覗きながら聞いた。
多摩川を電車で渡りながら、高速で流れる数々のマンションの光をぼうと眺めながら、その光のもとには数百数千の生活があるのだとよくわからないことに一種の感慨を感じながら聞いた。
そこには昔と何も変わない本当に粗削りな音が残っていまして、あたりまえだけど。
一瞬だけだが昔の自分もそこにいた。

最寄りの家が近づく。
無数の光の中から我が家の光を探す。
家の手前には好きな子の気を惹くために電話をしに出かけた五反田川が流れている。
夜の暗闇のなか、見つかるはずもない五反田川も探してみる。
イヤホンではまだ愛を歌っている。
ドアが開く。まばらな人と共に改札を抜け北口階段を駆け足で降りる。

そういえば
昔から、というか、保育園の時から車窓を眺めるのが好きな子供だった。
車窓から外を眺めるとき、自分はいまここから離れ、いつかの自分に戻ることができるのかもしれない。
行き先を指定するためには音楽を聴けばよい。
もしかしたら電車はタイムマシーンなのかもしれないと、しょうもないことを考えてみたりする。

別に昔の全てが良かったわけではない。
きっと昔に戻りたいわけではない。
それでも昔の自分を覗いてみたくなる時はある。
覗いて終わりである。それで終わり。それで良い。


音楽は往々として顔が長く屁理屈を並べ果たして僕が口論で一度も勝つことができなかったニシ君と共にある。
この上なく不愉快である。

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