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片手袋が飛んでいったその軌跡がスローモーションだった

何かすごいものを見たりいわゆる感動を覚えたりしたときに「やっべぇ」しか言えない自分に気づいて焦り、
何かを感じたときに「やっべぇ」以外の適切な言葉で表現できるような自分でいたいと思い、練習のためにnoteに吐き出すことにしました。1日坊主のクセがあるので、これで最後になるかもしれませんし、ならないかもしれません。

という長い入りがありましたが、本日浜松町にて仕事終わりに劇団四季の「アナと雪の女王」をようやく観てきまして、唐突ですがその感想を拙い言葉で書き出していこうと思います。

まずひとつ。劇団員さんたちの努力の賜物、目の前で見るとやっぱりやべぇです。
早速やべぇを使ってますが、正直幕が上がって子役のおふたりが笑顔で客席をみたその瞬間のまばゆさにこれまでの想像もできない途方もない努力を感じ、そこで涙が出ました。
自分でもびびりました。えっ歳を取るってこういうことかななんて思いましたが、たぶん客席の半分くらいはあそこで泣いていたと思う。しらんけど。
その涙までにどういう思考回路だったかというと、
この表情この動きすべて練習練習のあとに舞台に出ることが許されてはじめてこちら側が観られる尊すぎるものなのだなとその瞬間に光線を浴びたように察しそこまではいいのですがそこから自分に目線がいき「お前は何やってんだ」となる。これです。これが涙になって出てくる。どちらかというと絶望です。希望の絶望です。何いってんだろ。
怠惰が板につき「こんなもんでええやろ」と何も大した仕事ひとつもしてないのに缶コーヒーボスをあけてふぅとため息を付く慣れと崩れとダレの毎日。劇団四季ならその場で去れと言われます。去ります。こんな自分が恥ずかしい。の、涙。

ふたつめ。演出がすてき。
詳しくはネタバレになるのかなと思いつつ話しますが、原作にとても忠実で、舞台でできるだけの再現をしようという制作陣の熱が否応なくビシバシと伝わってくる。
なかでも、「ありのままで」がものすごかった。雪の城がエルサの手でできてた。みえた。早着替え、あれはどうなってるの。プロジェクションマッピング、技術がすごい。
もうすでに語彙力が宇宙に飛んでますが、印象的だったのがやっぱり片手袋を宙へ飛ばすシーン。片手袋研究会のツアーに参加して石井さんと松澤さんからもお話を聞いたのですが、(松澤さんはラジオでも)解放の象徴である手袋を外す場面。圧巻でした。飛んでいく軌跡がスローモーションにみえて、手袋が第二の主役なのではと思ってしまった。
あと、手袋を外したりつけたりするシーンがたくさんあって「アッ片手袋が生まれそうで生まれない」ってこちらは客席でどきどきしていました。

みっつめ。子役のかた、やべぇ。
歳にして6歳くらいだろうか。あの歌声、動きの機敏さ正確さ、天使のような笑顔。
私は6歳のとき何をしていたのだろうと思う。ゲームボーイのクリスタルでピジョットのレベルを上げることと金曜の教育テレビのマスーニョ(バカリズム)のことしか考えてなかった。
そしていま、会社員になり組織の中であれだけの役割を果たせているだろうかとふたたび己に視線を移し涙する。あれ、泣いてしかいないのはなぜだろう。

最後、よっつめ。やっぱりストーリーが、いい。
エルサのあの氷の魔法は、個人の個性にも置き換えられるとどこかの記事で読み客席で震えていました。
強い個性は人を傷つけ逆に人に傷つけられる可能性だってある。それを隠そう隠そうとすると孤独になる。かといって個性を爆発させても孤独になる。
それでも、その個性と共にわたし達は生きなければならない。その共生の物語なのだとその記事は言っていたっけ。
そこで印象的なのが、エルサの服装。最初はきらびやかなドレスだったのが、途中から軽めのきらきらドレスに変身、最後はきらきらながらもパンツスタイルで、割と身軽になっていて。
堅く閉ざさず、自分らしく、かつその自分らしさにも縛られないその軽さ。そこに個性を持ちつつも少しでも息がしやすくなるヒントがあるのではと思った。

そんなこんなで、京浜東北線に揺られながら再び泣きそうな顔で余韻を引きずりながらこれを書いておりました。
いやぁ、劇団四季やっべぇ。
決して安くはない金額だけど、ほんとにたまにの自分へのご褒美の、自分への鼓舞の、自分の明日のためにも定期的にお支払いしたい。(財布が許せば)
結局あのすばらしさの前では語彙力も手袋といっしょにぶっ飛んでいきました。
ここまで呼んでいただいた方、いないと思いますがありがとうございました。

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