【人生】世界は終わる〜いずれ消失する世界での私の生き方
世界は終わる。
自分の死と共に、世界は終わる。
自分が生きているから、世界を認識できる。
自分が死んだ瞬間、自分の意識と共に、世界は消え去る。
万人に共通する世界など、存在しない。
皆、自分の性質、経験などから独自のメガネをかけ、同じ場面でも、違った世界を見ている。
世界の終わりとは、そんな自分の世界の終わりである。
メガネをかけずに見える世界とは、どのようなものだろう?
その世界を見ることは、自我のある人類には不可能。
神の領域だ。
世界は終わる。
必ず終わる。
ジタバタしたって、しょうがない。
いずれ来る死を受け入れるしかない。
開き直るしかない。
自分が生まれてきた意味。
それは、自分でみつけるしかない。
誰も教えてくれない。
私は、みつけることができた。
面白いことに、それは、人との関わりの中で、気づいた。みつけた。
私の見ている世界には、私だけしかいないはずだ。
この世界には、私しかいない。
しかし、私の生まれてきた意味は、他の世界で生きているはずの他者との関わりの中でみつけた。
妻が、「幸せ過ぎる」と、泣いた時、その瞬間、私は、私の生まれてきた意味を知った。
そうか、この瞬間を味わうために、生まれてきたのか…と。
ああ、私は、この女性を、妻を、幸せにするために生まれてきたのだ。
私の考える私の生まれてきた意味は、一人の愛する女性を幸せにすることで、得られたのだった。
別の世界で生きている妻を幸せにすること。
私は、この事に、喜び、幸福を感じたのだった。
「人」という字は、左の棒と右の棒が支え合っている。
別の世界の人と支え合う。別の世界との融合。
そこに、生まれてきた意味、幸せがあるのではないか?
最近、そんな気がしている。
人は孤独なものである。
一人で生まれてきて、一人で死ぬ。
自分に見えている世界には自分一人しかいない。
しかし、自分の世界での他者と関わりで、他者を支えることができた時、そこに自分の人生の意味を見出すことができる。
人の生きる意味とは、そういうものではなかろうか?
と、最近、私は思うのである。