【人生】極限の状況で手に入れた言葉③〜こうして、私は自由を手に入れた
人生を遊ぼう!
この言葉から、死生観について考える必要性を迫られ、
死とは、自我の消失である。
と、私は定義した。
これは、私の死の定義である。
宗教の中に、死の定義を見出す人もいるでしょうし、スピリチュアル的なものから、自分の死を定義する人もいるでしょう。
それは、各々が自分の好きなように定義すればいいと思います。
だから、私の書いていることは、他の人には、全く役に立たない駄文かもしれない。
しかし、私自身が、読書を通じ、様々な考え方に触れ、それが、現在の私の思考のヒントになっていることを実感しているので、私は、駄文を書いているのです。
もしかしたら、誰かの思考のヒントになるかもしれないと…
さて、私は、私の考える死の定義をしてから、以前と考え方が変わった。そして、行動が変わった。
心が変われば、行動が変わるのである。
過程と結果、どちらが大事か?
という、問いがある。
以前の私は、結果が大事だと思っていた。
そして、結果が大事だと思うことにより、行動にブレーキがかかっていた。
感覚的にいうと、不自由さを感じていた。
今、こう動いた方がいいと思う…
でも、こう動いたら、後で、こうなってしまうかもしれない…
と、今すればいいと感覚的に思う行動にブレーキがかかるのである。
そして、後で、やっぱり、思った通りにしておけばよかった…
なんで、しなかったのだろう…
と、後悔したりもした。
しかし、利点もある。
失敗が少ないのである。
私は、今の清掃の仕事をする前は、プログラマーとして働いていた。事務の仕事をしていた時期もある。
その時に、結果を重視する私の考えは、ミスを減らし、上司に怒られたことは、ほとんど無かった。
しかし、今の私は、過程の方が大事と考えている。
それは、最終的な人生の結果が死だからである。
どんなに出世しようが、最後は死ぬのである。
どんなに金を持っていようが、最後は死ぬのである。
どんなに有名になろうが、最後は死ぬのである。
そして、私の考える死とは、自我の消失である。
人類の結果は、どう生きようと同じ、最後は、自我が消失して、終わるのである。
結果は、皆、同じなのです。
納得のいく人生とは、どんな人生であろうか?
それは、納得のいく結果の人生ではない。
納得のいく行動をした人生である。
なぜなら、最終的な結果は、死である。
自我の消失である。
結果は、皆、同じなのである。
今、納得のいく行動をする。
今、納得のいく行動をする。
今、納得のいく行動をする。
その今という点の集合が線になり、人生となる。
それが、納得のいく人生なのです。
これが、私の考える納得のいく人生です。
これが、私が過程の方が大事と考える理由です。
生きていく中で、今という過程で、納得のいく行動をする。結果は気にする必要はない。結果は、同じ…死です。自我の消失です。
結果など、気にせず、今に、集中する。
そして、それが、今を生きるということではないでしょうか?
今を生きる
という言葉がある。
それは、
結果など気にするな!
大丈夫、結果は、全て同じ、死だ!
今、自分の納得のいく行動をしろ!
ということだと、今の私は、思います。
今、私は、自分の納得のいく行動をする人生を歩んでいます。
気持ちが軽い。
私は、自由を手に入れたのです。