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【人生】迷ったら、自分の死を考える

気分が乱れたら、原点に戻る。
これが、最近の、私の生き方です。

では、原点とは何か?
と、言えば、
自分の死を想像することです。

人生の中で、人類に共通する結末…それが、死です。
これは、誰も否定することの出来ない、厳然たる事実です。

気分が乱れたら、悩んだら、自分の最期、死を起点に物事を考える。
動かしようのない事実なので、これほど心強い土台、思考の出発点はありません。

自分の死というものをどのように考えるのか?
これにより、思考の起点が変わり、行動が変わり、人生が変わります。

世界には、様々な宗教がありますが、私は、無宗教です。
死を迎えたら、全てが終わる。
今見えている世界が見えなくなり、考えることも感じることもできなくなる。
そこにあるのは、無で、無であることさえわからない、全ての主観の消滅。
これが、私の考える死です。

私は、悩んだら、心乱れたら、自分の死を想像することを起点に、その時の問題に対処します。
そうすると、恐ろしいはずの死を起点に物事を考えていたはずなのに、結果、穏やかで楽しい思考の結果を得ることができています。

日本には、信教の自由がありますが、無宗教の人も多くいて、自分の死について、深く考えないようにしている人も多いと思います。
でも、私は、自分の死について早くから考えた方がいいと思っています。
それは、自分の死をどのように定義するかによって、思考の起点、土台が変わるからです。
それにより、行動が変わり、人生が変わるからです。

自分の死生観を持つということは、とても大切で、人生の土台になると思います。

今の私は、余生を、暇つぶしで生きていこうと思っています。
なぜなら、今、欲しいものも、夢も、目標も何も無いからです。
20代の頃、欲しいと思っていたもの、全て気付いたら、手に入れていたからです。

統語失調症を何とかしたい!
30代中頃に寛解しました。

パートナーが欲しい!
30代後半に、今の妻と出会いました。

続けられる仕事が欲しい!
今の駅の清掃会社で、正社員となり、働けています。

楽しい毎日が送りたい!
妻が面白い人なので、毎日、楽しいです。

若い頃、統語失調症を患って、目標としていたものが、普通の人に比べると、低いのかもしれませんが、私的には、欲しかったもの全て、手に入れました。

後は、死ぬまで、暇つぶしです。

余生は仕事で暇つぶし。
余生は妻と暇つぶし。
余生はゲームで暇つぶし。
余生はアニメで暇つぶし。

これが、私の今の人生です。

楽しいですよ!


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