「エロくなる」より「甘える」〜代々木忠著書『生きる哲学としてのセックス』は、今を生きるわたしの伴走〜
「なんとなく行ってみようかな。」
「ちょっとおもしろそう。」
という、少しの閃きがいい、と思った。
ゆく先に目的を持たない、期待しない、となると
わたしは、その場所に、自然に溶け込める。
今朝、ぱらっとページをめくる。
代々木監督の著書『生きる哲学としてのセックス』P102〜103の
「エロくなる」より「甘える」
「甘える」というのは、子どものように、ありのまま無邪気に、身も心もゆだねてほしいという意味である。「男はエロい女が好きだ」とか、「こう感じれば悦ぶはず」といった思考を捨てて、ただ感じるままに乱れ、相手に身を任せる。そんなとき、男は好きな女性から「愛を与えられている」ことを感じ、幸せな気持ちになる。
「エロくなる」わたしは媚びているのだ。相手に何かを期待しているし、「こうあらねば」と常に考えている。
あった。そんなとき。よくあった!
日常の暮らしの、些細に思われることにも、何かに期待する。媚びる。「こうあらねば」という思考に縛られる。
それだとわたしの生きている時間は、可哀想だな。楽しくない。
「甘える」ことは、素直に感じること。
著書に書かれた「甘える」とは「子どものように、ありのまま無邪気に、身も心もゆだねる。」こと。
今日のわたしに、ストんと腑に落ちた。
何にも縛られてないわたしは
ただ、楽しい。びっくりする。心地よい。
目的のない、期待しない場所は、素直に甘えられる。
わたしにとって出雲大社は、そんな場所だった。子どものように、ありのまま無邪気に、身も心もゆだねられた場所。
出雲大社は、無目的のわたしを受け入れてくれた。
大きな居心地の良い、温かく柔らかい、自然な空間だった。
思いがけない、嬉しいプレゼントも貰えたし!出雲神話や古事記にも親しむようになった。
わたしは『無目的にゆける場所』をつくり、来てくれる皆さんと話したり、同じ空間をともに過ごしたりしてみたい。
思いがけない楽しいことに出逢えると思う。
代々木監督の著書は、わたしの生きる「今」に伴走してくれる。
今日も、一緒に歩いてくれる。
ありがとうございます。